
『女神の教室~リーガル青春白書~』(フジテレビ系/以下『女神の教室』)を観ると思い出す作品がある。2003年に放送された『ビギナー』(フジテレビ系)。美村里江(当時はミムラ)のデビュー作として話題を呼んだ同作は、司法研修所を舞台とするリーガルドラマだ。オダギリジョー、松雪泰子、堤真一ら演じる司法修習生が切磋琢磨し成長する姿が、青春群像劇として感動を呼んだ。
法科大学院と司法研修所。どちらも法律家の養成機関であり教育内容も共通点が多い。『女神の教室』と『ビギナー』を比較すると、制度の変遷にともなってドラマの中の受験生にも変化が生じており、時代を経ても変わらない法律家のあり方が見えてくる。
かつて法律家と司法試験受験生はドラマの鉄板キャラだった。『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)で「僕は死にましぇん!」と叫んだ星野達郎(武田鉄矢)や、『HERO』(フジテレビ系)の型破りな検事・九利生公平(木村拓哉)は有名で、伝説めいたオーラをまとっていた。売り手市場の業界で弁護士や検事はステータスの象徴として説得力があり、ユニークなキャラクターが次々と生み出された。
というのは過去の話で、現在は多様な分野に弁護士が進出し、司法の世界はより身近なものに変わりつつある。その裏には2000年代以降の司法制度改革がある。法曹人口が増加し、競争が激化することで格差も拡大。それにともない、法律家=エリートという図式に収まらない個々の活躍がクローズアップされるようになった。
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『ビギナー』は法律家がヒーローだった時代の名残りをとどめる作品だ。法科大学院設置前は司法試験合格が一発逆転を意味しており、10年以上かけて試験に挑む者も多くいた。『ビギナー』の主人公を含む8人組のうち現役学生は1人だけで、会社員、キャリア官僚、元不良、ヤクザの元愛人までその来歴は多彩。誇張もあるとはいえ、個性全開のバックグラウンドは当時の合格者を代表していた。
『女神の教室』では一気に若返りが進行している。法科大学院ができ、受験回数制限が設けられたことで高齢受験生は減少し、現役学生が中心になった。『女神の教室』の南沙良、高橋文哉、前田旺志郎らが演じるメインの学生は全員23歳または24歳で、学部から社会人を経ずローに進学した者を想定している。
彼らが学ぶのは試験合格に直結する法律基礎科目、実務の現場で必要になる民事や刑事の実務科目、法学の応用分野を含む選択科目である。実務科目の一部は制度改革以前の司法修習のカリキュラムが移管しており、『ビギナー』と『女神の教室』に同じような内容が登場することになる。ドラマ中の事件も同様だ。『ビギナー』第6話のタイトルは「依頼人はウソをつく!」で、『女神の教室』第1話で、被告人の内山(福井裕子)は万引きの初犯であると言い張るが、実は常習犯という顛末が明かされる。
『ビギナー』では、具体的な事件について議論が交わされる。第7話「アンパンは誰が食べた?」と続く第8話では、妻を殺した男性の殺害動機と同意の有無についてグループを二分する激論となった。生活苦から殺してほしいと妻に懇願され、やむなく応じたと考える羽佐間(オダギリジョー)に対して、桐原(堤真一)は、殺意は確定的であり、犯行の残虐性を根拠に同意殺人を否定。公判で被告人質問を目にした楓(ミムラ)は悩んだ末、執行猶予なしの殺人罪の結論を出す。
人を裁くことの重さを理解した上で、どのような判決を下すべきか苦悩する姿には、それぞれの考え方や人生観が投影され、時に仲たがいを起こすほどの真剣な議論を通じて、彼らが担う使命の大きさと強い絆が垣間見えた。『女神の教室』では、雫(北川景子)と藍井(山田裕貴)が担当する実務演習で、学生たちが法律問題をめぐって討論する。議論の対象となるのはシンプルなケースだが、学生たちは雫が与えるヒントやそれぞれの学びと経験から得た気づきを通して、事案の奥にある深層に手を延ばしていく。
彼らの議論は最終的にその事案にとって最善の答えを導き出すのだが、結論に至る過程で自らの内面を見つめ、法曹として生きる意味を問い直していく。学ぶことが人間としての成長につながる点で『女神の教室』と『ビギナー』は相似形をなしている。あえて違う点を挙げれば、『女神の教室』では旧試験時代のような登場人物の個人史への言及が薄くなっているが、その分、抽象度の高い議論が交わされており、ロースクールの3年(2年)間はそれらを補って余りあるドラマの豊富な材料を提供している。