
コミカルな展開が続いていたところから一変し、多くの視聴者が戦国の世の“地獄”を垣間見ることになった大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合)。といっても、物語はまだまだ序盤の方だ。これからさらに私たちを翻弄する瞬間が何度も訪れるのだろう。繰り返しになるが、舞台になっているのはあの戦国の世なのだ。そんな始まったばかりの本作において、これからしばらくの展開を左右することになりそうなのが、いまやバイプレイヤーとして名を成す溝端淳平の存在である。
【写真】“父”今川義元役の野村萬斎
本作で溝端が挑んでいるのは、野村萬斎が演じる今川義元の息子・氏真だ。松本潤が演じる主人公・元康は今川家の人質であったため、氏真とは立場が違ったが、義元に何かと目をかけられていたのは元康の方だったのだと、第1話「どうする桶狭間」が始まってすぐに分かった。元康と氏真は兄弟のような間柄ではあったが、常に凛々しい態度を貫く氏真と、いつもどこか間の抜けたところのある元康とでは、やはりその“違い”を感じないわけにはいかなかった。
このあたりの溝端の表現ぶりは見事というほかない。限られた出演シーン、限られた(自分の映る)カット、限られたセリフで、氏真と元康の違いを明らかにし、自身がどういったポジションを担っているのかを端的に示してみせた。少し演技が力んでいるようにも感じたものだが、それは彼にとって初めての大河ドラマの現場だからなのではなく、完全にキャラクター設計によるものだろう。溝端は俳優として、すでにいくつもの死線を超えてきたはずなのだ。
本作の公式ガイド『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 前編』(NHK出版)にて溝端は、氏真にとって元康は“ライバルではなく出来の悪いかわいい弟のよう”だとしたうえで、「ところが、家康(現:元康)は氏真に気を遣って、剣術もいつも負けてくれていたわけです。それが判明するのが、瀬名を賭けた勝負のとき。父・今川義元がすべてを見抜いていたことにも屈辱を感じたのでしょう。そこから家康への嫉妬や憎悪が募っていきます」と、この『どうする家康』における氏真のキャラクターについて私見を述べている。そんな氏真役へのアプローチに関しては、「氏真が感情を爆発させるシーンは、いわゆる熱演に頼らず、表情は変えず声を張ることはないが心が震えるという芝居に挑戦したいと思います」と語っている。
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たしかに、第3話「三河平定戦」での元康の裏切りを知ってもなお氏真は自身を抑えているようだった。しかしながらその内面では驚きと怒りと悲しみとが渦を巻き、彼の硬直した全身から漏れ出ているのを感じた。内なる激しい感情を生み出しながらも、外へ出ぬよう必死に抑え込むーー。結果として氏真の心は破裂し、息を呑んで見守る私たちのもとへと彼の激情は届いた。溝端のこのようなアプローチが、あの緊張感に満ちたシーンを生み出したのだ。さすがは踏んできた場数が違う。これからの「どうする氏真」的な展開に期待が高まるというものだ。
筆者にとって時代劇での溝端というと、やはり舞台『ムサシ』での姿。井上ひさしの戯曲を蜷川幸雄が演出し、2009年の初演以降、何度も再演を重ねている演目だ。同作に溝端が佐々木小次郎役で参加しているのは2013年からで、筆者が観劇したのは2018年のこと。つまり、蜷川が亡くなってしまった後でのことだ。完全なる“蜷川版”を見逃した事実に忸怩たる思いがあるが、しかし同時に、初めて蜷川のいない『ムサシ』が生まれる瞬間に立ち会うことができたのも事実。板の上で溝端が対峙したのは、蜷川の愛弟子のような存在である藤原竜也だ。開幕直後に劇場に響き渡る、二人の叫び声。この場面に立ち会ったとき、演劇シーンが大きく変わっていくのを肌で感じた。その当事者として、いち演技者として、溝端はそのシーンの中心にいたのだ。その後の彼の演技巧者ぶりは広く知られているとおりだ。古典劇も現代劇も、何でもござれである。
結論にたどり着くのに、少し遠回りをしてしまった。さて、“溝端淳平=今川氏真”はこれからどう動くのか。「どうする氏真」のエピソードの進展とともに、溝端の真価も明らかになってくることだろう。
(折田侑駿)