
二〇一九年暮、流行ミステリー作家斉田寛は都心の高層マンションの二十二階から転落死して発見された。遺書はなく警察は事故死として処理した。世界的なパンデミックの中、ジャーナリストの松野はその死を巡りオンラインとリアルを駆使して故人の周辺の人々にインタビューして回る。果たして斉田は自殺か、他殺か? 斉田が蒐集していた中国古美術を巡って暗躍する香港マフィアの影。家族や友人知人を通して次第に明らかになる流行作家の実像とは? そしてその残酷な結末とは? サスペンスに彩られた究極の愛の物語。※本記事は、そのこ+W氏の小説『私の名前を水に書いて』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集をしたものです。
空き巣事件
インタビュー4岡林恵、斉田の秘書(オンライン)
岡林恵が斉田の秘書になったのはほんの一年半前のことだった。その前は入れ替わり立ち代わり秘書が交代していた時期が五、六年あったらしい。
彼女の話はオンライン追悼会で話したこととほぼ同じであまり新発見はなかった。斉田は恵に自分の流行作家としての旬の時は過ぎたとこぼしていたらしい。売れっ子だった時に比べて講演会の依頼もグッと減った。
以前は地方に出かけて一回話をすると最低で二百万円、うまくいくと五百万円の臨時収入が入ったのに、最近では百万でも頼まれなくなったと自嘲気味に愚痴をこぼした。最近書いている本の題材が若者ではなく、むしろ中高年向きだったことも影響していたのかも知れない。わずかにインタビューの終わりごろに口にしたことが松野の注意を引いた。
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「私が先生の秘書になってから一年ほど経った頃に先生の白里のお家に空き巣が入ったんです」
「ほう……それで、斉田さんはその時どこにいたのか?」
「目黒の仕事場におられました」
「奥さんは無事だったんですか?」
「夜中のことだったらしいです。奥様は離れにいらして警察には眠っていて何も気付かなかったっておっしゃったそうです。母屋の方の窓が壊されていて入った跡があったんですが大したものは取られませんでした。ところがあれは先生が亡くなられる三月くらい前のことですが今度は目黒の仕事場に空き巣が入りました。
去年の九月三十日、先生はその日は名古屋で名古屋在住の作家との交流会の為に不在だったんです。私も名古屋について行っていました。警報は鳴ったんですが警備会社の人が駆け付けた時には犯人はもう逃げたあとだったそうです。犯人はその辺の物をぐちゃぐちゃに引っかき回していきました。後片付けが大変だったわ」