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街路の中の滞在先…笑顔で迎えてくれた「イギリスのお母さん」

幻冬舎ゴールドライフオンライン

若き建築家の卵としてヨーロッパの様々な街をめぐり、パリやロンドンに滞在した著者。そこで体験した事がら、出会った人々との交流を、情感あふれる筆致で描いたヨーロッパ青春漂流・滞留記。※本記事は、鈴木喬氏の書籍『遠き時空に谺して』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

【前回の記事を読む】日本人がヨーロッパで気がついた「自分でいること」の大切さ

Ⅰ ヨーロッパ

(三) ロンドンヘ

自分はこの街で、これから3ヶ月ほどを過ごすのかと思って、少し心の高鳴りを覚えた。それから、地図を頼りに列車に乗って滞在先へ向かった。私のロンドンでの生活の始まりだった。

(四)ロンドンの日々

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私の滞在先はロンドン郊外の東南地区にあった。テムズ河岸のチャリング・クロス駅から10数キロ程東方で、列車で約20分ほどのセント・ジョン駅にあった。乗った列車はプラットホームから直接コンパートメントに乗り込む旧スタイルだった。車両を輪切りした形のコンパートメントで向かい合わせに席があり、両側に乗客が勝手に開閉するドアーがあった。

私にとっては勿論初体験で、なにやら古い映画の中に入った気分だった。セント・ジョン駅で降りて1つある改札口を出ると、その周りには何もなく、駅から南方にトレシリアン・ロードという街路が延びていた。

そこはロンドンの人口増に伴って郊外ベッドタウンとして開発されたとおぼしき街だった。街路に添って労働者階層や中間階層用と思われる、典型的なロンドンの3階建てのタウンハウスが並んでいた。家は皆バラなどが植えられている小さな前庭があり、5、6段上った所に玄関があった。裏にやや大き目の庭があるようであった。

その街路の中ほどに滞在先はあった。呼び鈴を押すと、いかにもイギリスのお母さんという感じの笑顔が迎えてくれた。ミセス・ミッチェルと名乗ったもう60歳に近いと思われるその女性は、大柄な太った体つきで、見るからに人のよさそうな顔と目をしていた。ちょっと戸惑い気味の私を、笑顔で両手を広げて包み込むようにして迎えてくれた。

挨拶もそこそこに、2階の部屋に案内された。荷を解いて下に降りると、ミセス・ミッチェルが紅茶を入れてくれていた。しばらくお世話になると挨拶し、持参したちょっとした土産を渡すと彼女は大喜びで、こちらが気恥ずかしくなるほどであった。彼女は私の名前の一部をとって、タック(Tak)と呼ぼうと勝手に決めて1人で頷いていた。私はその後のヨーロッパ滞在中、タックの名で通すことになった。

ミセス・ミッチェルは1人暮らしで、家に何人かの下宿人を置いているようだった。実は私はロンドンの研修先が決まった時、滞在先は働く設計事務所の世話によるものだろうと思っていたから、事務所の関係者の誰かの一般家庭にホームステイするのだろうと勝手に想像していたのだ。

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