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「学校制度の近代化」のなかで教育を受けた、文豪・坪内逍遙の学歴

幻冬舎ゴールドライフオンライン

夏目漱石、二葉亭四迷、坪内逍遙、田山花袋、川端康成……。名だたる文豪たちによる、明治・大正時代の日本を舞台にした名作を、学歴という観点から徹底的に分析。根底にある社会構造を理解したとき、作品の本当の姿が顔を出す。欧米文学との差異に着目して生まれた、日本文学研究の新たなかたち。※本記事は、三浦淳氏の書籍『「学歴」で読む日本近代文学』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

第一章 日本近代文学の出発点に存在した学校と学歴――東京大学卒の坪内逍遙と東京外国語学校中退の二葉亭四迷

■日本近代文学の先陣を切った坪内逍遙と二葉亭四迷の学歴

日本近代文学のスタートを理論面で支えたのが坪内逍遙の『小説神髄』だったというのは、文学史をひもとけばおおかた意見が一致しているところです。明治一八年(一八八五年)に刊行されたこの書物は、西洋近代文学の知識を根底におきながら、小説には現実の社会を見据えた写実が必要であり、勧善懲悪主義から脱却しなければと説いていました。

逍遙はほぼ同時に『当世書生気質』という小説を世に問いましたが、こちらは江戸の戯作文学の文体から脱しておらず、西洋の知識をちりばめながらも、筋書きや作中人物の行動・思念が江戸文学の延長線上にあり、理論を実践面で示すという目的を達することはできませんでした。

では実践面で「小説の近代化」を最初に成し遂げたのは誰で何という作品によってでしょうか。これは難しい問題ですが、明治二〇年(一八八七年)から二二年にかけて発表された二葉亭四迷の『浮雲』を挙げるのが妥当と考えられます。

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鴎外の『舞姫』(明治二三年、一八九〇年)に先駆けて発表されたこの小説は、文体上はまだ江戸戯作文学の影響を多分に残していますが、『舞姫』と違って一応口語体で書かれており、内容面でも近代的な青年の煩悶に光を当てた作品でした。

坪内逍遙と二葉亭四迷は友人同士でした。『小説神髄』を読んだ二葉亭が明治一九年(一八八六年)に逍遙を訪ねていき、以後二人は明治四二年(一九〇九年)に二葉亭が死去するまで友情で結ばれていました。

そもそも、当初は作家志望ではなかった二葉亭が小説に手を染めたのも、外国語学校でロシア語とロシア文学を学び、さらに『小説神髄』を読んだことをきっかけとして逍遙との交友関係ができたからだったと考えられるのです。この二人が残した作品の内容、そして二人が実生活で持った学校との関わりや学歴を見るなら、日本近代文学の出発地点においてすでに学校というものが大きな役割を果たしたことが分かります。

二人の最終学歴はといえば、逍遙は東京大学卒業、二葉亭は東京外国語学校中退でした。戦前の学校制度について少し知識のある人なら次のように言うかも知れません。

「東京大学って、明治時代は東京帝国大学と言っていたんじゃないの? だから正確には東京帝国大学卒業でしょう。」「東京外国語学校って、今の東京外国語大学のことだよね?」

答は、最初の問いについては「残念でした。逍遙は東京帝国大学卒業ではなく、東京大学卒業です」であり、二番目の問いについては「半分は正解ですが、半分は誤りです」となります。どういうことか、順を追って説明しましょう。

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