
インターナショナル幼稚園編 STORY 05
お読みいただく前に…
これは30年以上前の話です。社会情勢や法律など、現代と大きく異なっています。今では考えられない出来事もありますが、そんな時代もあったのかと広い心でご覧いただければ幸いです。
登園日でも土曜日は幼稚園に来ない外国人先生
なぜ土曜日を登園日に? 外国人保育者がいないのに・・・
月曜日から金曜日までの通常保育が終わり、初めての土曜日を迎えます。当時はまだ週休2日制が浸透しておらず、多くの幼稚園で土曜日も半日保育が行われていました。ここでもさまざまな問題が浮上します。なぜなら登園日にもかかわらず、外国人先生は出勤しないと決まっていたからです。それなら休日にすべきではないかと、私はなんども田村理事長に詰め寄りました。しかし「外国人先生との雇用契約は月曜日から金曜日までだから仕方がない」「日本の保育事情を考えれば、土曜日も保育するのが当たり前」と矛盾だらけの説明を繰り返すばかりです。
保育者がいないのに土曜日に登園させるなんておかしいという他ありません。保育どころか、園児を見るだけで精一杯です。ケガなく降園させられるのでしょうか。全く納得できませんでしたが、園の方針と言われれば従うしかありませんでした。ちなみに私の雇用契約は土曜出勤も含まれています。
はじめての土曜日保育。無事に1日を終えることができるのか?
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土曜日は自由登園日に設定されていたので、バスの送迎はありません。送迎がないため登園する園児は少ないと予想していたのですが、事前に土曜日の保育を申し込んでいたのは約60名。全園児数は80名ほどですから7割以上が登園する計算です。全年齢の園児が対象となれば、混乱するのは目に見えていました。
土曜日は、百合さんと私に加え、理事長の姪の千春ちゃんが手伝ってくれることになっていました。3人で60名の園児を見るのです。しかも私以外の2人には保育の経験も知識もありません。覚悟を決めて出勤したものの、事故は起こらないだろうかとそればかりを考えていました。クラスに分かれて保育することは不可能だったので、全園児をお遊戯室に集めての合同保育です。
ピアノで園児の注意を引き、全員で歌うことからスタートしました。各年齢に合わせた運動をする時は、他の園児はお遊戯室の隅で見ているだけです。退屈が極まれば、そこでケンカが起こります。ケガをさせるわけにはいかないので、仲裁役も必要です。園児をリードするのは私で、ケンカの仲裁は百合さん。泣いている子をあやすのは千春ちゃんと、自ずと役割が決まっていきました。
英語には長けていた千春ちゃんですが、絵本や手遊びはできません。私のつたない英語が頼りです。泣き声と叫び声が入り混じる怒涛の3時間が過ぎ、ようやく降園時間が訪れました。誰1人ケガをすることなく、保護者にお返しできたという安堵感は、今も忘れられません。保育が終わると、平日とは比べ物にならないほど疲弊していました。
まだまだ続く土曜日保育。天気の良い日は園庭遊びでストレス発散
納得するしないにかかわらず、土曜日の保育は続きます。1ヶ月が経つ頃には忙しさにも慣れ、合同保育もスムーズになりました。土曜日の保育を担う3人は日本人ばかりですから、意見の交換も簡単です。言葉の壁がどれほど大きいのか、思い知らされたように感じたのを覚えています。
慣れてきたとはいえ、問題が解消されたわけではありません。退屈すれば睡魔に襲われる。体力を消耗すれば不機嫌になる。目が行き届かないとケンカが起こる。そう考えるとお遊戯室での保育には限界がありました。お遊戯室が無理ならと考えたのが、園庭で遊ぶことでした。園庭には遊具があります。おもちゃもあります。広々とした空間なら揉め事も起こりにくい。お天気さえよければ、思い思いに楽しく遊ぶことができるでしょう。梅雨を迎える時期だったため、土曜日だけは晴れてくれるよう心から願っていたものです。ケガのないよう配慮や工夫は必要でしたが、園庭には死角がほとんどなく安全面での心配も減りました。それでも心の奥底では、土曜日保育の廃止を願っていたのです。