
「人類は野蛮状態から理性的になった。戦争状態から平和な社会になり、少しづつ理想の世界に近づいている」
しかし“教科書の歴史”は正しいのでしょうか?
21世紀に突入すると「アメリカ同時多発テロ」によって「テロとの戦い」が始まります。トランプ米大統領の誕生は「ポピュリズムの台頭」を象徴し「民主主義の危機」をもたらしました。そしてロシアによるウクライナ侵攻…。目を覆いたくなるような出来事が多発する現代社会において、我々はどこに向かっているのでしょうか?
「我々人類は、本当に進歩しているのか?」
そんな疑問がふと脳裏をよぎります。
理性の力を解放し、歴史の発展を主張したヘーゲル。人類の進歩を疑いたくなる現代社会において、ヘーゲルをどう考えるべきか? 今回はヘーゲルの思想に迫りたいと思います。
デカルトとカントを簡単におさらい
ヘーゲルに入る前に、近代哲学の巨匠であるデカルトとカントの思想を少しおさらいしましょう。ヘーゲルは2人の思想を継承しているからです。
まずは中世ヨーロッパにおける宗教と哲学の関係性を見ていきましょう。当時の人々は“神”について以下のように考えました。
強烈な力を持った存在である神が世界を創造した。神は明確な意図を持って、理想的な世界を制作したはずだ…。しかし、神が作った世界で戦争や貧困などの不幸が生じるのはなぜだ? それは我々人間が、神の意図を理解していないからだ。
こうした背景から中世ヨーロッパの学問は、神を研究する「神学」がメインになり、活発な議論が交わされることに。その中でデカルトは「人間が神を認識できるのはなぜだ?」と問います。
彼は「人間に備わる理性が神の一部である」という主張を展開。神の存在を人間との“関係性”の中で理論付けたのです。神と人間は全くの「別物である」と考えていた当時の人々からすると、デカルトの思想は画期的でした。
このデカルトを継承したのが、カントになります。
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カントは「そもそも人間は神を認識することは可能か?」と問い、デカルトを深掘りします。人間の理性には「認識できる世界」と「できない世界」があると主張。理性と神の関係性をぶった斬ります。詩人のハイネは「カントは神の首を切り落とした」と表現するほどです。
人間の理性には「1+1=2」と認識できる「枠組み(カテゴリー)」が、神とは関係なく先天的に埋め込まれている。この理性のカテゴリーによって、人間が認識「できる現象界」と「できない物自体」が存在するとしたのです。
カントは自然科学(現象界)の領域のみに「理性は適用される」とします。その一方「神は存在するのか」など、信仰や道徳の世界(物自体)は「理性の適用範囲外」と定めたのです。
※カントに関しては「5分で分かるカント哲学」でも解説していますので、より理解を深めたい方はぜひお読みください。

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理性の力を拡大したヘーゲル
ヘーゲルもまたカントの思想をアップデートします。カントは「理性の限界」を主張したのですが、ヘーゲルは理性の「限界の幅」を拡大できるのでは? と考えました。
2023年1月23日