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〈深作欣二監督 没後20年企画第1回〉知られざる、海外における“フカサク”の評価とは?

キネマ旬報WEB

徹底した娯楽とバイオレンスの巨匠として20世紀後半の日本映画界を怒濤のように駆け抜けた深作欣二。没後20年を迎える今年、東映チャンネルでの大規模な特集放送も決定した。これを機に「いま改めて語る映画監督・深作欣二の世界」として、4回に渡りその魅力に光を当てる。第1回は、フランスきっての日本映画通として知られ、同国での深作映画の普及に尽力してきた批評家ジャン=フランソワ・ロジェ氏が登場。知られざる、海外における“フカサク”の評価について、話を聞く。

深作映画との出会い 「仁義なき戦い」(73)

――まず、深作欣二監督作品との出会いをお話ししていただけますか?

ジャン=フランソワ・ロジェ(以下、JFR) 深作欣二監督の作品を発見したのは、1980年代でした。
まったくの偶然です。パリには、当時、中国のカンフー映画を中心に上映する映画館が複数あり、他国籍の作品もたびたびプログラムされていました。その映画館の一つで、シリーズの第一作目「仁義なき戦い」(73)が上映されていたのです。ですが、その当時はフランス語吹き替え版で、「誰が広島の親分になるのか?(Qui sera le boss à Hiroshima?) 」というタイトルでした。私は即座に、手持ちカメラであり、停止した映像に言葉を重ねる非人称のナレーションなど、彼独自の演出の方法に魅了されました。それと同時に、彼の構築する世界に満ちた虚無主義にも衝撃を受けました。

彼のヤクザ映画は、単なるエキゾチックな魅力には留まりません。ここで描かれる裏社会は、日本社会全体のメタファーであり、作品の導入部分で、多くが語られます。広島と長崎に投下された原爆と降伏から生じたトラウマが背景となり、強者の法の世界が作られていき、人間は災いを糧として生きていく。深作欣二自身が生きた幼少期――軍国主義、戦争、原爆投下、アメリカ軍の占領――が、彼の映画に強く影響を与え、偏在しているように見えました。

また、フランスでは、同時期に「黒蜥蜴」(68)が芸術性と実験性の高い作品を上映する映画館(Cinémad’Art et Essai)でも公開されていました。その奇妙さ、「仁義なき戦い」との差異に驚かされたことも鮮明に覚えています。さらに、1980年代の半ばにパリ、シネマテーク・フランセーズで、ヒロコ・ゴヴァース(※1)が、大規模な日本映画の回顧上映をプログラムしました。その機会に、いくつかの深作欣二監督作品も見ることができました。

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彼のフィルモグラフィを三つの時代に区分するアイディアは、2014年、パリ、シネマテーク・フランセーズでの回顧上映を準備した際、かなり後になってやってきたものです。(※2)回顧上映の準備のために、アメリカや日本のDVDでかなりの数の作品を見たことで、より広範囲で歴史的見方ができるようになったのではないかと思います。

 

(※1)ヒロコ・ゴヴァース氏は、1984年、当時のシネマテーク・フランセーズで、古典から現代映画を網羅する日本映画の回顧特集のプログラムを担当した。600本を超える作品が1年半にわたり上映された。

(※2)2014年、7月2日〜8月3日にシネマテーク・フランセーズで開催された深作欣二特集に際して、ジャン=フランソワ・ロジェ氏は、「叙情的、政治的混沌 UN CHAOS LYRIQUEET POLITIQUE」というテキストを執筆し、「深作欣二とは何者か?」と題した講演も行った。

深作映画とは何か? 「県警対組織暴力」(75)

――日本映画史の流れの中で、深作欣二監督作品をどのように位置づけられると考えていますか? 彼は、大島渚や吉田喜重、篠田正浩、いわゆる松竹ヌーヴェル・ヴァーグの作家たちとほとんど同時期にキャリアをスタートさせながら、スタジオにとどまった監督です。

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