
真田幸村のむすめ阿梅は、父の敵将であった伊達家の重臣、片倉家に養われる身となった。12歳の少女は異郷の地でおのれ一人の力を頼りに、周囲の信頼を得て確乎たる地歩を固めていく。日本一の兵と呼ばれる父の娘に生まれた少女・阿梅の力強い命の輝きと、戦中戦後を生きぬいた人びとを描いた感動の時代小説。※本記事は、伊藤清美氏の小説『幸村のむすめ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
第一章 阿梅という少女
「父上からきついお叱りを受けたが……」
重綱さまはしょげた様子で、でもな、と言った。
「大坂落城の前日は、後藤又兵衛(ごとうまたべえ)どのや薄田隼人(すすきだはやと)どのとの戦があってな、真田左衛門佐幸村どのは敵ながら儂わしの戦働きを良しとしてくだされたのだ……」父親の見る目だけがすべてではない、と言いたげに小鼻を膨らませた。
「夜遅くな、左衛門佐どのの使いの者が、書状を持って我が陣に駆け込んで来た。今夜のうちに娘を送るので保護してやって欲しい、というものだった」
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なんと、阿梅を保護するよう、真田左衛門佐どのから頼まれたのだという。落ち鮎を偶然に網に受けたのではなかったのだ。
伊達陸奥守政宗(だてむつのかみまさむね)さまに急ぎ裁可を仰いだところ、当然のようにうなずかれて、片倉で養育するようにと仰せられたという。
落城前夜の大坂城は、大勢の武将たち、その妻や子たちやおつきの者もいて、さぞ騒然としていたことであろう。
左衛門佐どのは阿梅の母である正室の大谷どのや、他のお子たちにはそれぞれ家士をつけて、各地に落ちのびさせていたというのである。
最後まで城に残ったのが、左衛門佐どのと長男大助(だいすけ)、そして阿梅の三人だったという。
翌決戦の日に城は落ちる。左衛門佐どのにはそれが見えたのであろう。明日はおのれと大助の命日となる。せめて娘の阿梅だけは助けたいと思われての、前夜の書状だったのであろう、と重綱さまは話された。