
北海道に生まれ、波乱万丈な人生を歩んできた“ぽんこつ助産師”の私。結婚、出産、離婚、DV……幾度となく絶望と闘い、生きる力を消耗した日々の中、出会ったのは「寄り添う」という言葉だった。 自らの半生をありのままに綴った、愛と葛藤の物語。※本記事は、輪月舟氏の書籍『運命に寄り添う、そして生きる』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
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第一章 そして母になる
・転校:発達障害は免罪符にならなかった
発達障害は、不登校の状況を配慮される免罪符となってくれるのか。発達に躓きをもつ子のための「通級指導教室(学びの教室)」を併設している小学校に転校した。障害児クラスもある。
しかし、次男は知能検査でIQが120以上あり、理解力も言語力も高く、コミュニケーションも可能だ。教室に座っていることもできる。障害児学級も、学びの教室にも入れなかった。
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転校した次男を待っていたのは障害児差別の偏見のカタマリ担任教師だった。「こういうお子さん」と言われた。さらに転校初日に転校生いじめにあった。それはあまりに些細なことだった。クラスの子どもたちから「転校生様のお通りだよ~」と教室で、廊下で、玄関で、一日に五度もそんなことされたら、さすがに傷つくよね。
・担任教師の圧力
それを担任に相談すると、「児童たちは普通に歓迎しただけ、私のクラスの児童たちが悪いというのか?」といきなり開き直られた。先生が何をおっしゃっているのかわからなかった。
二週間かけて、校長先生と教育委員会に相談して、ようやく子どもたちが「ごめんね」と謝ってくれた。子どもたちに悪意は全くなかった。それで転校生が傷ついたことを知らず二週間も経ってしまったことに子どもたちの方が心を痛め、泣いて謝った子もいた。その場で、その日に、「嫌だったんだね、ごめんね」と言ってくれたらすぐに解決したことじゃないか。
また、ある日の遠足で、児童を怒る先生の様子にパニックになった次男を夫と二人で迎えに行った。先生は私たち夫婦の前で腕組みをして「困ったお子さんだ、本当に困ったお子さんですね!」と言い放った。私たち夫婦は苦いものを抱えた。「何を言われたんだろう、私たち」と夫婦共に落ち込んだ。まだ私たちは夫婦だった。
・担任教師ジャージとサンダルで家庭訪問編