
毒親の支配に苛まれる清美は、ある日見えない友人と出会う。彼女は自らの幸せを手繰り寄せることができるのか。絶望の中で藻掻く青少年に贈る、精神的自立と安寧のための物語。※本記事は、深山れいこ氏の小説『瞑想物語 若竹の日々』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
タケル──霊体の説明
「確かに、この物質の世界は、善良な人にとっては、試練の場かも知れないね。肉体を持っていることによって、いつも物理的な死の恐怖と隣り合わせに生きていかなければならないし、病による苦痛など他の世界にはない苦しみが多いね」
タケルは清美に同情を示した。そして、清美は更にこの世の苦しみを訴える。
「それに、肉体があるから、それを養うために苦しい仕事もやむを得ずしなければならなくなるし、そのために嫌な人とも一緒の空間に居なければならない。それぞれの人がしたいことが自由に出来る環境ではないように思うわ」
「でもね、苦痛を伴うような強度の、肉体的生命に対する危険を意識するから、何事をするにしても、緻密に行う習慣が身につくという良い面もあるのだよ。生きていくために、生命を守るために、この世のことを綿密に知ろうとするし、互いの約束事もきっちり守ろうとするんだよ。そこは、物質界の特徴であり、長所でもあると思う」
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「物質界にも良いところが有るんだ。嫌でも生きた方が勉強になるって事かな」
清美は、軽くうなずきながらも、口をとがらせながらつぶやいた。タケルは更に清美の興味をそそるように、霊体の緻密さの差異が及ぼす卑近な例を挙げてみた。
「霊体の質量の善し悪し、つまり、精神的レベルの高低についてだけど、肉体をまとっている清美ちゃん達にはそれを一目で見分けるのは難しいかも知れない。だけど、それを肉眼でも感じる時があるはずだよ。例えば、“目が澄んでいる”、または、“目が濁っている”という表現があるね。
良い感情の元になっている細かい精妙な質量が振動する時のエネルギーは、その波長は短く直線的で、あまり干渉し合わない。それで目が澄んで見える。逆に悪い感情や欲望の元になっている粗い質量が振動する時のエネルギーは、波長が長く、干渉し合うので濁って見えるって具合にね。誠に目は心の窓である。言い得て妙だね」
「はん、目元が涼しいって表現もあるよね」
清美は身近な例に興味が倍増したようだ。我が意を得たりとばかりに、タケルは続ける。