
その思想は死さえも乗り越えていく。介護保険制度が実施された当初からデイケアを経営している医者が、実存哲学的な考え方をもとに生と死、そこに見いだされる希望について説く。本来の自己を見つけ、孤独から解放され生きていくための一助となる一冊。※本記事は、伊藤芳宏氏の書籍『生の希望 死の輝き』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。
第2章 ナイスデイへの歩み
追悼式とハイデガー哲学
ある時から、終礼の後、職員一同が集まり、亡くなった人のライフストーリーを簡単に話し、お別れの追悼式をするようになりました。最初にこれを行った時の場の雰囲気はすごいものでした。緩んでいた気持ちが何かで強くたたかれて、ピンと張り詰めたようになり、深い静寂に包まれました。
よく知って心を通わし、大切にしている方が亡くなるとは、こんなにも重いものかと驚愕しました。若い職員が「夫婦げんかをしていたが、つまらないことだと思うようになった」と、その後の団欒で話をしていました。不思議な笑いに包まれました。つまらないことにこだわらないようにしよう、もっと大事なことに気持ちを集中しようと思う気持ちが、皆の心を揺さぶりました。
そして、もっと利用者さまに真剣に向き合おうという覚悟ができていきました。我々の仕事は死に近い人々と接することのできる、極めて特殊な、素晴らしい仕事なのだと改めて気付きました。
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このあとで感じたことがありました。この死の問題はTCでは扱っていない問題ではないか、死の問題と我々の感じているこの神聖な深い気持ちの高まりは、実存哲学の問題と関係していると感じました。そしてハイデガー哲学を思い出し、実存哲学が主として扱うことのできる分野ではないか、死の問題について新たな思想展開が必要なのではないかという結論に達したのです。
ハイデガーも若いころ何回か、心臓発作で危うく死にかけています。彼の哲学はこの恐ろしい死の持つ不安の経験からつくり上げられたのです。死の近くまで行ってしまう恐ろしい発作の後に、本来的存在へと生まれ変わったことを思い出しました。
ナイスデイの利用者さまにも同じように死の不安を経験した方が多くおられることに気が付きました。大手術の後、何日も人工呼吸器につながれて意識不明だった方や、もう治らないからと医者に見放された人たちでナイスデイは構成されています。死を意識しない人はいないと、言っても良い、特殊な集まりです。
ナイスデイのこの高まりは、実存的に死への先駆を経験し不安を持ちながら覚悟した人たちが醸かもし出す本来的存在による雰囲気ではないのかと、直感しました。
TCと根源的共同存在(救いの共同体)との違い
ナイスデイを特色づけるため改めてTCと比較してみると、TCは薬物嗜好者やアルコール依存症、精神病者、受刑者などを集めて、デモンストレーターの指導で心の深いところに届く会話を通して、集団が治療的になるように導くという、メンバーを集めること自体が、かなりハードルの高い治療コミュニティです。