“インスタ映え”が流行語大賞に選ばれたのは、もう5年も前のこと。
それでもなお、映えることに全身全霊をかける女が、東京には数多く存在する。
自称モデル・エリカ(27)もそのひとり。
そんな彼女が、“映え”のために新たに欲したのは「ヨガインストラクター」という肩書だった―。
エリカは、ヨガの世界で“8つの特別なルール”と出合う。しかし、これまでの生活とは相いれないルールばかりで…。
これは、瞑想と迷走を繰り返す、ひとりの女性の物語である。
◆これまでのあらすじ
レッスンをさせてもらえるスタジオが見つからず、ヤキモキするエリカ。気晴らしに参加したインスタグラマーたちとの集まりではマウントを取られ、嫌な気分を味わう。だが、その中の1人から、破格のレッスン話を持ちかけられ―。
▶前回:「時給20,000円なんだけど…」女子会で持ちかけられた甘い誘惑。その仕事内容は?
Vol.6 リピートされなかった理由
― どうしよう、緊張してきた…。
菜摘子から紹介された“礼子さん”が、今からここに来る。
彼女に指定された、スペイン坂にあるオーガニックカフェで、私はしばらく彼女を待っていた。
一体どんな人物なのだろう。
1時間2万円の報酬で、経営者相手にレッスンをさせてくれるなんて、相当なやり手であることは確かだ。
そのとき、店内に入ってきた長身の美女から、声をかけられた。
「もしかして、エリカさん?」
― うそ、めちゃくちゃキレイな人。彼女が礼子さん?
丸みのあるおでこを全開にしたポニーテールが似合う、目鼻立ちのはっきりとした顔。メイクはナチュラルで、肌には、内側から発光しているかのような透明感がある。
私は、礼子さんの顔をジッと見てから、慌てて答えた。
「あ、はい。菜摘子の友人のエリカです」
「礼子です、よろしくね」
彼女は、レギンスにオーバーサイズのニットをサラリと合わせたラフなファッションだ。妊娠中のふっくらとしたお腹が、かすかに目立っている。
ヨガ界の女帝みたいな人を勝手に想像していた私は、飾り気のない姿を見て、ホッとした。
「エリカさん、履歴書は持ってきてくれた?えっと、まだレッスンはしたことないのよね?」
「…はい、まだ」
「レッスン、してみたい気持ちはある?」
「あります!だけど、なかなかスタジオが見つからなくて…」
レッスンがしたい―。その背景には、インストラクターとしての“活動歴”が欲しいという気持ちが隠れている。ヨガウェアブランドのアンバサダーになるために必要なのだ。
だが、礼子さんは、私のよこしまな考えにはちっとも気づいていない。
「わかった。私ね、やる気のある人には、どんどんレッスンを任せていきたいと思ってるの。それに、エリカさんって私好みだし」
そして、ひと言。含みを持たせた言い方をした。
「ただし、いくつか条件があるんだけど―」
私は、ふたたび体を硬くして、彼女の話に耳を傾けたのだった。
「あの、条件というのは…?」
「ごめん、ごめん!そんな、とんでもないことをさせるわけじゃないから安心して」
顔の前で手を振りながら、礼子さんが提示してきた条件は、2つ。
まず、礼子さんが経営するヨガスタジオに、インストラクターとして所属すること。
そして、お客様とは、直接連絡を取り合わないこと。
「パーソナルレッスンは、私がオーナーを務めている四ツ谷のヨガスタジオでやる予定よ」
“お客様”との予約連絡などは、礼子さんがすべて請け負ってくれるという。ヨガスタジオに所属できるばかりか、面倒なことはしなくてもいいということだ。
― これって、私にとっていいことばかりだよね。でも、こんな簡単に決まっちゃっていいの…?
うまい話には裏がある―。
PR会社の新田にそそのかされて、ナイトブラ姿になった一件を思い出すと、こめかみのあたりがピクッとした。
「そうそう。報酬は1回のレッスンで、2万円。月末締めの翌月払いなんだけど、どう、エリカさん?」
唯一の収入源だったPRの仕事がなくなり、もうすぐ3ヶ月。
― 最近、外食ばかりで出費がかさんでたし、これでお金も経歴も手に入るなら…。
願ってもいない高額報酬の話に、私はあっけなく、彼女の手中に落ちたのだった。
「よろしくお願いします。それで、レッスンはいつですか?」
「それがね、今回だけちょっとイレギュラーなの」
打ち合わせから、1週間後の朝。
私は、品川にあるタワーマンションのロビーに立ち尽くしていた。
そこへ、少し遅れて礼子さんがやって来た。
「エリカさん!今日は、生徒さんのマンションで出張レッスンになっちゃって、ごめんなさいね。四ツ谷のスタジオの水道工事が、どうしてもズラせなくて。出張手当はつけるから」
「いえ。それより礼子さん、レッスン中はどちらに?」
初めてのレッスンというだけでも緊張するのに、男性と2人きり。しかも、マンションの一室で―。
身の安全を心配する私をよそに、彼女はどんどん話を進めていく。
「大丈夫!私は、そこの打ち合わせスペースで、レッスンが終わるまで仕事をしてるから。じゃあ、嶋田さんを紹介するわね」
“アパレル会社を経営する48歳・男性。
肩こりに悩み、定期的にヨガを受けている。腕を上げるポーズが苦手。”
これが、礼子さんがくれた“嶋田さん”の情報だ。
忘れないように頭の中で繰り返している間、彼女が電話をかける。
「嶋田さん、おはようございます。今日担当させていただく、インストラクターのエリカを連れてきました」
その数分後。
スタイリッシュなスポーツウェアに身を包んだ細身の男性が、エレベーターから降りてくるのが見えた。
「朝早くから、ありがとうございます。嶋田です」
「よろしくお願いします。インストラクターのエリカです」
「エリカさん、ではこちらへ。礼子さん、また」
こうして、私が彼に連れられて行ったのは―。
― ここまできたら、もうやるしかない!…って、この部屋は?
エレベーターに乗っている間、てっきり嶋田さんの部屋へ向かうものだと思っていた。
しかし、案内されたのは、見晴らしのいいパーティールームだった。
「ここで大丈夫ですか?ちょっと長めに、8時から9時半まで借りました」
「は、はい。ありがとうございます。えっと、それじゃあ、私のヨガマットはここに敷くので、嶋田さんはそのあたりへ」
部屋の隅に荷物を下ろし、ヨガウェアに羽織っていた上着をサッと脱ぐ。それから、彼と向き合って、あぐらの姿勢で座った。
「そうだ。ドアなんですけど、マンションの決まりで、開けたままにはできないみたいで。閉めてもいいですか?」
「そうなんですか。…大丈夫です」
ここで、会話がプツッと途切れる。
― えっと、もう始めてもいいんだよね?
いざとなると、どう切り出したらいいのかがわからない。
「エリカさん、僕肩こりがひどいんで。肩が楽になるような感じで、お願いします」
不慣れな様子が伝わったのだろう。あろうことか、生徒である嶋田さんに促されてのスタートとなった。
「わかりました。ヨガは肩まわりを大きく動かすポーズが多いので、こりにもいいかと。では―」
こうして、ぎこちないながらも、なんとか1時間のレッスンを終えた。
「うん、スッキリしたかも。ありがとう」
嶋田さんは満足そうに肩を回して、仕事へと向かった。
リピーターとして2回目のレッスン予約が入ったのは、その2日後。
私は、自分のレッスンがよかったのだと、手ごたえを感じていた。
だから、翌週、礼子さんのスタジオでレッスンを終えた後。次の予約も、当然入るものだと疑いもしなかった。
「もしもし、エリカさん?嶋田さんなんだけど、しばらくヨガはお休みするそうよ」
「そうですか。でも、どうして?」
礼子さんからの電話で、嶋田さんが次の予約をしないと聞かされたときは、愕然とした。
「うーん、忙しい方だから…ね。でも、近藤さんっていう別の生徒さんが、レッスンを受けたいって言ってるから、お願いするわ」
近藤さんは、不動産会社を経営者する51歳の男性。
「仕事が終わった後、体のダルさをスッキリさせたい」というリクエストだった。
私は、彼のレッスンも丁寧に行った。
近藤さんも終始にこやかだったし、帰り際には「今夜はよく眠れそうだ」なんて言っていたのに―。
たった1回のレッスンで、まさかのフェードアウト。
その後に紹介された、今井さんという男性は、レッスン中わかりやすく顔をしかめていた。もちろん、リピートはなし。
私は、3人中3人の生徒から、総スカンを食らってしまったのだ。
― レッスンのせい?何がいけなかったのかな。ハワイで習ったとおり、ちゃんとやったのに。
やっぱり、自分にヨガは向いていない…。礼子さんに「もう続けられません」とLINEを送ると、愛猫・ミケ子が眠るソファに突っ伏した。
翌日。
礼子さんから呼び出された私は、四ツ谷のスタジオに来ていた。
「エリカさん、レッスンしてみてどうだった?」
「どうって…ちゃんとやりました。養成講座で習ったとおりに」
生徒を立て続けに失ってしまったことへの不甲斐なさに、顔を上げずに答えた。
「うん、それは基本だよね。すごく大事なことだと思う。でも、生徒さんにはそれぞれの悩みとか不調があったでしょ?ヨガを習う人は、それを改善したくて来てるんだよね」
彼女は、そのまま続ける。
「ましてや、パーソナルレッスンなんだから。多少つたなくても、お客様に合わせたレッスンをしていたら、リピートにつながっていたかもしれない。そこは、私も説明不足だったね。
もし、またレッスンの希望があったら連絡します」
私は、何も反論できず、重い足取りで家に帰った。
礼子の言っていたことが、あまりにも真っ当だからだ。
自分ではちゃんとやっていたつもりだが、よくよく思い返してみると、腕を上げにくいという嶋田さんには、何度も伸びのポーズをさせた。近藤さんには、夜のレッスンなのに、朝にふさわしい“太陽礼拝”のポーズをさせていた。
まるっきり的外れなレッスンだったことに、今さらながら気づく。
気持ちの乱れと同じように、部屋も散らかり放題。もう、何もかもがグチャグチャで、泣きたい気持ちになった。
― そうだ…。こんなときこそ“シャウチャー・清浄”じゃない?この部屋をなんとかしたら、気持ちもスッキリするかな。
私はまた、ヨガ哲学にある8つのルールのうちのひとつに、従ってみることにした。
床に散乱していた洋服を無心で拾い集め、洗濯機行きとクリーニング行きに分けてから、掃除機をかける。
リビングの窓を開けると、心地いい風が流れ込んできた。
― 確かに、少し気分が変わったみたい。だけど、これからどうしよう…。
いれたてのオーツミルクラテを飲みながら、スマホに手を伸ばした、そのときだった。
― あ、これ…!
1通のDMが送られてきていた。私を立ち直らせるのに十分な内容の、DMが―。
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2022年12月7日