「結婚しない男女が増えている」と言われる昨今。しかし東京の婚姻率は人口1,000人当たり5.5%で、なんと全国1位を誇っている。(※『令和2年 東京都人口動態統計年報』)
特に「東京都区部」と呼ばれる東京23区は、その中枢を担っているのだ。
ただ、結婚すればそれだけで幸せなのだろうか?
東京23区内は、エリアによって生活している人たちの特徴が全く異なり、価値観や悩みも違う。
それぞれの区に生息する夫婦が抱える、苦悩や問題とは…?
▶前回:「実家近くに住みたいから、今住んでるタワマンは売ろう」自己中すぎる夫の申し出を、妻が快諾したワケ
結婚5年目。世田谷区夫婦の悲哀/真斗(37)の場合
「真斗!今日燃えるゴミの日だから、それ出してから行ってね」
出社直前の僕に向かって、妻の綾がそう言ってきた。だから僕は彼女の指示通り、玄関先にまとめられていたゴミ袋を手に持つ。
「わかった。じゃあ行ってくるね」
「はーい、行ってらっしゃい」
池尻大橋駅から徒歩15分のマンションへ引っ越してきて、5年が過ぎた。可愛い子どもにも恵まれ、毎日幸せな気持ちで暮らしている。
派手さはないかもしれない。けれどそれなりに仕事を頑張って稼いでいるし、生活はちゃんと安定している。
でもこのまま僕の人生は終わっていくのかと思うと、たまに不安に襲われることがあるのだ。
なぜなら僕たち夫婦は娘が生まれて以降、スキンシップがかなり減っていたから…。
幸せだけど、ドラマも何も起こらない日々の中で…
なんとか仕事を終え、夜遅くに帰宅する。僕は先に寝てしまった娘・萌香の寝顔を見てからリビングに移動し、綾と向かい合った。
こうやって1日の終わりに、娘の様子や今日の出来事を話し合うのが僕たち夫婦の日課なのだ。
「今日ね、萌香がさ…」
「うんうん」
築年数はかなり経っているけれど、2LDKの78平米で1億弱。僕と綾の共同名義で買ったこのマンションは、僕たち夫婦の大事な財産だ。
港区界隈でも家探しはしたけれど、予算が合わなかった。それで結婚当初から子どもを望んでいた僕たちは、迷わず世田谷区への引っ越しを決めたのだ。
渋谷にあるオフィスにも近くて出社しやすいのに、港区よりも少し広い家が買える。また周辺には公園も多く、子育てがしやすそうな雰囲気もある。
都会的であるのに暮らしやすい。家族を養う30代の僕に、ちょうどいい区。それが世田谷区だった。
しかし僕たちにとってちょうどいい家は買えたものの、夫婦の関係は少しずつうまくいかなくなってきているように思う。
「あ〜、眠くなってきた。じゃあ私、先に寝るね」
話し疲れたのか、あくびを繰り返す綾をマジマジと見つめてみる。さっさと萌香が寝ている部屋へ行こうとする妻を、僕は思い切って呼び止めてみた。
「あのさ、綾。もう萌香も寝てるし、今夜は僕と一緒に寝ない?」
「え…。ごめん。疲れてるから今日は無理」
結婚し子どもが生まれてから、僕たちの寝室は別になった。綾と娘が一緒に寝て、僕は1人で寝ている。
そして今年に入ってから一度も、僕たち夫婦の肌は触れ合っていない。
妻と出会ったのは、大学時代のことだ。
ただ学生の頃はあまり話したこともなく、社会人になってから食事会で再会し、そこから急激に仲良くなった。
最初はほかの友人を含めて何人かで遊ぶことが多かったけれど、終電を逃した綾が僕の家に来ることになり、そこから交際に発展。
再会したのが25歳のときで、そこから交際期間4年を経て僕たちは結婚した。
通信系の会社で営業をしていた綾と、広告代理店勤務の僕。大学も一緒で似ている点も多く、友達の延長線上にいるような関係の夫婦だと思う。
「綾と真斗って、顔が似てるよね」
友人からそう言われることも多いし、綾といると純粋に楽しい。ただあまりにもフラットに仲が良すぎるのもダメなのかもしれない。
最初はもちろん、男女関係があった。しかし交際期間が長くなるにつれ、その頻度が低くなっていったことも事実だ。
夫婦になってからも一応、1ヶ月に数回くらいはあった。ただ娘が生まれてからは、状況がさらに悪化してしまったのである。
最初は仕方のないことだと諦めていた。妊娠と出産を経験し、大変なのは十分わかっていたから。
しかし萌香が大きくなってからも、綾の態度は変わらなかった。
「綾、今夜は…」
「今日は無理」
最初は、僕も頑張って何度も聞いてみた。けれどもだんだんと諦めの境地に達し、触れ合わない時間が長くなるにつれて、夫婦の夜の関係は悪化していった気がする。
「ごめん。真斗のことは本当に人として大好きだし、最高の夫だと思ってる。でも触れられるのがちょっと…」
ちょうど萌香が1歳を迎えた、誕生日のとき。ハッキリとそう言われ、僕のプライドはズタズタになった。
そしてこれ以降、僕は綾にどう接すればいいのかわからなくなってしまったのだ。
◆
「真斗〜。後で洗い物よろしく」
「わかった」
世田谷区は地元のコミュニティーが強固で、近所には雰囲気のいい店もいっぱいある。
芸能人も多くいるし、何より“ご近所飲み友達”というコミュニティーに入れれば、世田谷ライフはかなり楽しいものになるだろう。
でも萌香が可愛いので、娘が生まれてからは早く帰りたくて飲みに行く回数も減った。
だから現状、僕はちっとも世田谷区を開拓できていない。
それが悔しいし、本当は綾と一緒に美味しいお店にもたくさん行きたいのに、彼女はかなり渋る。
「萌香もいるしな…」
大橋の歩道橋から見える『らんぷ』に『やきとり児玉』。『オルランド』や口コミで話題の『池尻餃子.』。そして『ナティーボ』に『鮨 福元』などなど…。
大箱よりも小ぢんまりとした、常連になりやすいサイズ感の名店が星の数ほどある世田谷区。それを全部挙げるなんて到底できないほど、グルメな区でもある。
でもこのまま行くと、世田谷区に住んでいるメリットが一切享受できない気しかしていない。
「真斗、水流しっぱなし」
綾に指摘され、僕は慌てて水を止める。
― 平凡だけど幸せな日々。
頭ではそうわかっているけれど、どこか突き抜けられない。妻とはそういう関係がないのに、ほかの女性と逢瀬を重ねるようなこともしない。
冒険はしたいけれど、できないもどかしさ。何かにチャレンジしたいけど、結局安全パイから抜け出せないこの性格。
「綾。今、幸せ?」
「えっ、急にどうしたの?…萌香もいるし真斗とも仲良しだし、幸せだよ」
比較できる相手はいるかもしれないけれど、比較したところで落ち込むのではなく「まあ、いいか」と思ってしまう。
「将来、綾はどうなっていたいの?」
「こういう平凡な幸せが続くといいな」
綾も僕も、派手な喧嘩はしない。
だから結局僕たちは、今日も“なんとなく夫婦”を続けている。
ほかに行く勇気もなければ、そこまでして綾と離婚したいわけでもないから…。
▶前回:「実家近くに住みたいから、今住んでるタワマンは売ろう」自己中すぎる夫の申し出を、妻が快諾したワケ
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2022年12月5日