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ニッポンの土地「誰のものだったのか」大研究(3)「太閤検地」で“納税者”が明確に〈鎌倉〜江戸時代〉

アサ芸Biz

 戦国大名の発生と農民たちの変化を武光氏は、次のように説明する。

守護大名の領地の中で国人と言われる2000〜5000石くらいの領地を治める有力な武士が並び立って勢力争いをしていき、やがて1国単位で支配する戦国大名が登場します。この時期の荘園では、例えば、琵琶湖の竹生島の対岸辺りにある菅浦荘という小さな村で、そこの農民が土地を守るために、村の若者たちがこぞって命がけで領主や他の村と戦ったという記録が残っています。武士の保護を受けられなくなった農民たちは団結して戦うようになり、農民自身が自治をする村落が出現してきます。こうした村を『惣村』といって、村人はルールを自分たち自身で決め自律して村を守ることになっていきます」

 戦国期になると、荘園は戦国武将たちによって武力で奪い取られ、貴族たちの荘園はどんどん少なくなっていく。

 豊臣秀吉の天下統一によって戦国時代が終わると、太閤検地が実施される。元国税調査官の大村大次郎氏は、税制の観点から太閤検地をこう分析する。

「鎌倉時代から江戸時代までの間で、太閤検地ほど精密に農地を調査したものはなく、画期的なものでした。戦国時代の田畑は、元々、貴族の荘園だったものを武家が横領したり、在所の富豪が管理していたり、誰のものかわからなくなっているものも多かったので、現在誰が耕作しているのかを明確にして耕作者、つまり〝納税者〟の名義を整理しました。こうして当時、農地の大部分だった荘園の実際的に領主だった地頭や荘官などのいわば中間搾取層を排除したのです」

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 河合氏が引き取って言う。

「秀吉は、太閤検地の際、土地の直接耕作者を検地帳に明記し、農民に対する土地の権利を強化しました。また、村にいた武士たちを城下町に移し、村には基本的に農民しかいないようにする『兵農分離』が行われました。そして農民からは刀狩りで武器を取り上げて武士にならないようにしたのです。なお、惣村の名残で、年貢は村ごとにまとめ、払えない人がいても、それは村が共同で責任を持つというように、村の自治もある程度認めながら、徴税の仕組みを整備したという点でも画期的な改革だったと言えますね」

 太閤検地によって荘園制度は消滅する。その後の江戸幕府も太閤検地の制度を引き継ぎ土地は農民のものになっていくが、江戸幕府は税収確保のために田畑永代売買の禁止令などを出して土地売買の自由は奪われる。明治維新になって地租改正令で自由化され、さらに第二次大戦後に寄生地主を排除する農地改革で、ようやく小作農が土地を得て自作農になるのである。

 土地所有を巡る闘争の日本史は、土地が常に、歴史を動かす起爆剤であったことを教えてくれる。

 中大兄皇子も蘇我入鹿も、源頼朝も後鳥羽上皇も、そして豊臣秀吉もまた、「土地」という魔物に魅入られ、翻弄された生涯ではなかったか?

 ニッポンの土地とは、いったい誰のものであったのだろうか‥‥。.

河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊に「徳川家康と9つの危機」(PHP新書)。

武光誠(たけみつ・まこと)50年、山口県生まれ。東京大学大学院国史学科博士課程修了。文学博士。専攻は日本古代史、歴史哲学。「荘園から読み解く中世という時代」(KAWADE夢新書)など、刊行書籍340冊以上。

大村大次郎(おおむら・おおじろう) 国税庁調査官を退職後、フリーライターに。「お金の流れで読む日本の歴史」(KADOKAWA)「『土地と財産』で読み解く日本史」(PHP研究所)など著書多数。

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