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富士製鉄の留学制度で東北大学へ…緑豊かな仙台での思い出を振り返る

幻冬舎ゴールドライフオンライン

音楽家の家に生まれ育ち、幼少期に国民の一人として太平洋戦争を体験した。 戦後は日本で青年期を過ごし、その後研究職に就いた著者は、国内外を問わず 様々な組織で活躍する人生を歩むことになる。 これまでの半生を振り返り、辿りついた人生のテーマとは。※本記事は、藤田慶喜氏の書籍『共生感謝録 灰燼から繁栄時代に生きた一市民の記録』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

【前回の記事を読む】生まれ育った東京を離れて姫路へ…富士製鉄入社当時の思い出

第3章 富士製鉄、新日本製鉄の頃

製銑研究室とは高炉反応と製鉄原料に関する研究をする所で、研修テーマとして「高炉装入物の熱間性状特性」を与えられた。

当時すでに開発されていた耐火物の高温での性質を研究する装置を改善改良し、高炉ガス成分である一酸化炭素ガスや水素ガスの組成と温度曲線とを、溶鉱炉内と似た状態にして、鉄鉱石から鉄になるまでの性質の変化を調べる装置を開発した。上司である神原健二郎氏が担当されていた研究を引き継いだ。

実験助手として何人かの人に協力してもらったが、中でも奈良工長には、器具の製作やら実験の細かい操作などを大学を出たばかりの何も知らない筆者に親切に教えて頂いた。その研究の成果を学会で発表し、それが上司である神原氏の博士論文の基礎となり、その恩に報いることが出来た。

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それまで高炉で使われる鉄鋼資源は化学成分を主体に評価されていたが、高炉生産性には、高炉内でどのような挙動をするかを解明することが、必要であった。実験室内にガス成分、温度など高炉内と類似した設備に改造し、鉄鉱石がどのような膨張収縮し、化学変化するのか解明した。

世界には何百という鉄鉱石銘柄があり、その採掘位置によって、性質が異なる。それを丹念に調べる気の長い研究である。今で言う、シュミレーターを開発し、それを用いた研究である。溶鉱炉の形は世界どこでも似た形をしている。経験と積み重ねた先人の苦労の結果であろう。

しかし筆者のこの研究によって、溶鉱炉の形の合理性が裏付けられた。新たに溶鉱炉を建設する場合、これまでの溶鉱炉の実績と操業性とを徹底して調べ、常に改善しながら、理想とする設備仕様を検討してきた。明治以降の近代式製鉄法の導入以来の先人達の積み重なった経験則の偉大さを認識した。

実験設備についても同様である。改善を重ね、実験を繰り返す間に、幾つかの新規現象も発見した。それらの知見を操業者の経験と対比しながら調べることによって、これまでの操業者が有する現場的知見を理論的に解明出来た。次第に研究範囲は広がり、焼結鉱やペレット鉱石、新規に開発された鉱山資源などの未利用資源にも研究対象が広がった。

つまり、溶鉱炉原料の冶金的熱間性状評価とその性質を具備した適性原料製造法の確立にも貢献出来た。世界各地から輸入される多岐にわたる原料の組み合わせ使用のための指針(原料配合計画)を作成することが出来た。これにより当時の日本鉄鋼業の原料確保のための対象領域が広がり、経営上のメリットが大きく増大した。

つまり、原料と高炉操業技術の適正なドッキングが図られたことは大きかった。

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