スマートウォッチが全盛の今、あえてアナログな高級時計を身につける男たちがいる。
世に言う、富裕層と呼ばれる高ステータスな男たちだ。
ときに権力を誇示するため、ときに資産性を見込んで、ときに芸術作品として、彼らは時計を愛でる。
ハイスペックな男にとって時計は、価値観や生き様を表す重要なアイテムなのだ。
この物語は、高級時計を持つ様々な男たちの人生譚である。
▶前回:「恋愛は面倒だけど、結婚はしたい!」32歳IT男子がマッチングアプリを始めたら、意外な展開に…
Vol.9 日系メガバンク勤務・洋平(28歳)の決意
「…その黒のワンピース、彩に似合ってる」
きらびやかなイルミネーションが街を彩る表参道で、待ち合わせ場所に現れた彼女・彩の服装を洋平が褒める。
「ありがとう。この間実家で外商さんからおすすめしてもらったの」
彩は普段通りの口調でサラッと答えたが、洋平は、ワンピースについたシャネルのさりげないロゴに気づいた。
― シャネルかよ…。それに、外商が家に来るなんて、すごいな。
大手メガバンクの法人営業部に勤務する洋平は、同期の一般職の彩と付き合っている。
今年の4月に部署異動になり、ストレスを抱えた洋平に彩は「私で良ければ相談に乗るよ」と、近くで寄り添い支えてくれた。
そんな彩に惹かれて告白したのだった。
付き合いは順調だが、ここ最近、彼女と自分の“育ちの違い”を知り、洋平は複雑な思いだ。
「そろそろ、付き合って半年だね。どこか記念にレストランでも行こうか。彩は行きたいところある?」
「いいね!そうそう、行ってみたかったところがあるんだけど、ここなんてどうかな?」
彩が嬉しそうに見せたサイトをチェックをすると、表参道近くの割烹の名店のようだ。
両親とハワイに行ったとき、ビジネスクラスのラウンジで見た雑誌に載っていた店で、すごく行ってみたいと思っていたらしい。
― 1人35,000円からか…。やっぱり金銭感覚が違うのかな。それにビジネスクラスで家族旅行とかも…。
洋平は、シングルマザー家庭の一人っ子として茨城で育った。
一橋大学に進んだが、生活費を捻出するためにバイト漬けの学生時代を送っていた。そんな過去もあって金銭的な安定を求めて大手メガバンクに入行したのだった。
彼女との金銭感覚の違いに軽いショックをうけつつも、2人は予約していた表参道のカジュアルなイタリアンに向かった。
「そういえば、彩の両親って仕事、何しているんだっけ?不動産系とは聞いていたけど?」
店に入り、乾杯をしたあと、洋平は切り出す。
「うーん、父のメインは不動産業。でも、家業として代々地主で土地を動かしているみたい」
― やっぱりお嬢様だ。でも結婚とか考えると、自分の生い立ちを早いうちに話したほうがいいな…。
洋平は、覚悟を決めて、自分の生い立ちを伝えることにした。
「彩、俺が茨城出身なの知ってるよね?」
「うん、それがどうしたの?」
「最近、彩とは育った環境が違いすぎるのかなって感じてる」
「どういうこと?」
不思議そうに、顔を向けてくる彩。
「俺、シングルマザーの家庭で、かなり苦労して育ったんだ。母は俺を育てるために昼も夜も働いてくれて…。多分、彩には想像できない環境だと思う…」
「……そうだったんだ」
彩は、さっきまでの笑顔が消え、考え込むような表情をしている。
「今はよくても、結婚とかって話になったら、ご両親に反対されるんじゃ…」
洋平の言葉を遮り、彩が口を開いた。
「洋平、話してくれてありがとう。
私ね、洋平の芯がブレないところや、粘り強いところが好きなの。今の話聞いて、納得した。そういう環境で育ったからこそなんだね」
彩は、洋平の好きなところを一つひとつあげて、育ちは関係ない、ということを語り始めた。
そして、しみじみと「こんな素敵な人に洋平を育ててくれたお母様って素敵な人なんだろうな」と言った。
それを聞いて、洋平は、今まで抱えていた実家コンプレックスが少しだけ、軽くなった気分になる。
「彩、ありがとう。突然だけど、結婚するなら彩しかいないな、って思ったよ」
勢いでプロポーズをした洋平に彩は感動しながらこう答えた。
「うん、嬉しい、洋平となら、どんな生活だって乗り越えられるよ」
彩の放った母を褒める一言が、プロポーズの決め手となった。
◆
1ヶ月後。
洋平は、彩の両親に“挨拶”をするため、彼女の実家に向かっていた。
最寄り駅である、成城学園前から程近い住宅地に到着すると、高級住宅街でもひときわ目立つ豪邸に、彩の名字である“林”という表札が掛かっていた。
― こんな家見たことない。彩は“生粋のお嬢様”なんだ。俺、大丈夫かよ。
「すごい家だね。俺の実家とは大違いだ。ご両親がどう思うか……」
「…そんなこと、心配しないで」
洋平は緊張の面持ちで、大理石でできた8畳ほどの広さの玄関に足を踏み入れた。
「ようこそいらっしゃいました。洋平さんですね」
彩に似た笑顔のショートカットのお母さんが笑顔で迎え入れてくれた。
その後ろには威厳ある雰囲気の彩の父がいて、一気に洋平の緊張が高まる。
通された部屋は、高そうな調度品や絵画が飾られた広い応接間だった。
洋平は、あまりの豪邸にたじろぎつつも、はっきりした口調で彩の両親に挨拶をする。
「彩さんと結婚させていただきたく、ご挨拶に参りました」
彩の母からの質問攻撃を受けて、答えているとそれまで寡黙だった彩の父が、静かに語りだした。
「彩が褒めていたよ。洋平くんは、他の男とは違って気概のある男だって。今日初めてお会いして、その通りの男だと思ったよ。彩をどうぞよろしくお願いします」
彩の父は、洋平に向かって深くお辞儀をする。
洋平はホッとすると同時に、自分の育ちを否定的に捉えずに自分を受け入れた彩の父に感動した。
「ありがとうございます」
洋平は、彩の父が着ける凛とした品の良い腕時計に目がいった。
それに気づいた彩の父は、時計のストーリーを語ってくれた。
「この時計はね、“グランドセイコー”といって日本の高級時計なんだ。若い時から着けているんだ。僕は、華美なものじゃなく、こういうものが好きでね」
「素敵ですね」
彩の父の言葉を聞き、質の良いものを長く大切に使う精神が、彩にも受け継がれているのかもしれないと、洋平は思った。
その後も、彩の両親と和やかに流れる時間を楽しんだ。
◆
両家の顔合わせの日
東京駅で母と合流した洋平は、タクシーで築地の料亭に向かった。
通された庭園が見える座敷では、彩と彩の両親が待っていた。お互いに軽い挨拶をして、ランチが始まった。
食事をしながら場が和んできたところで、彩の父がおもむろにネイビーブルーの紙袋を取り出した。
「洋平君、これ記念に受け取ってほしいんだ」
洋平は、立派に包装された箱を開ける。そこには黒い文字盤の「グランドセイコー SBGA467」の時計が入っていた。
「グランドセイコーのスプリングドライブというのは、機械式時計とクオーツの良いところを組み合わせてできた、日本の技術が詰まっている作りなんだ。ほら、秒針が滑らかに進んでいくでしょう」
洋平は箱から時計をそっと手に取り、竜頭を巻いてみると、秒針が驚くほど滑らかにスーッと進んでいくのを感じた。
「洋平くんの誠実で逞しい性格に良く似合うと思ってね。
彩はもちろん、私たちも家族として、時間を共に過ごしていきましょう」
「はい、ありがとうございます」
洋平は、「父がいたらこんな感じだったのかもしれない」と遠い過去の記憶を遡った。
洋平の父は彼が4歳の時に亡くなった。その後、母と子二人三脚で頑張ってきた思い出が走馬灯のようによみがえる。
洋平は感極まり、涙が出てきた。
― 育ちはたしかに重要だ。でもそこから切り開いていくのは自分自身なんだ。
グランドセイコーの滑らかに進む秒針が、これからの洋平と彩の人生、そして“新しい家族”と共に時を刻んでいくのだった。
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2022年12月1日