“インスタ映え”が流行語大賞に選ばれたのは、もう5年も前のこと。
それでもなお、映えることに全身全霊をかける女が、東京には数多く存在する。
自称モデル・エリカ(27)もそのひとり。
そんな彼女が、“映え”のために新たに欲したのは「ヨガインストラクター」という肩書だった―。
エリカは、ヨガの世界で“8つの特別なルール”と出合う。しかし、これまでの生活とは相いれないルールばかりで…。
これは、瞑想と迷走を繰り返す、ひとりの女性の物語である。
◆これまでのあらすじ
狙っていたブランドアンバサダーの座は、ほかのインストラクターに奪われてしまった。思うようにいかず悶々とするエリカは、気晴らしに、インスタグラマー仲間の集まりに参加することに―。
▶前回:有名スポーツブランドのアンバサダーを目指す女。企業から誘われ、面談に行ったはいいが…
Vol.5 “映え友”からの甘い誘惑
「あ、エリカ!やっと来たー、もう遅いよ」
週の真ん中、水曜日の昼下がり。
私は、大手町にあるホテルのラウンジにやって来た。
15分遅れでの到着に、真保が軽くいら立っている。
「ごめん、真保。支度に時間がかかっちゃって」
真保は、ホテルグルメや旅の情報を発信するインスタグラマーで、流行りに詳しい。今回の、期間限定シャインマスカットアフタヌーンティーを提案してくれたのも、真保だった。
「15時半までだから、早く頼もうっ」
こう言って急かしてきたのは、千波。YouTubeに投稿しているメイク動画がバズって、その世界ではちょっとした有名人だ。
― 遅刻したのは、千波が急にドレスコードなんて指定してきたからなんだけど!よりによって、“グリーン”って…。
私の普段のファッションは、白や黒、グレー。落ち着いた色味の服しか持っていないので、待ち合わせの前に、グリーンの“何か”を買いに行かなくてはならなくなった。
迷った末、選んだのはスカート。急いで着替えてきたが、そのせいで少し遅刻してしまったのだ。
― はぁ…。これでも、急いで来たんだけど。
私は、納得のいかない態度を悟られないように、サッと席に着いた。
「エリカ、そのスカートすごく似合ってる」
すると、隣りに座るフリーライターの菜摘子が声をかけてきた。20代の女性を中心にファンが多い彼女の恋愛コラムには、書籍化のオファーもきているらしい。
「菜摘子のハイヒールも、素敵だよ」
こうして、4人全員が揃った。
ネイルやニット、ハイヒール、そしてスカート―。緑色に身を包んだ私たちは、傍からは仲のいい女友達のグループに見えるだろう。
だがその実態は、仲のよさなんてこれっぽっちもない。ただの“映え友”なのだ。
その証拠に、この日も―。
「あ、きた!すごーい」
「いい感じ!早く写真撮ろう?」
みずみずしいシャインマスカットのタルトや、ショートケーキ。ケーキスタンドには、ほかにも季節の果物が使われたスイーツの数々が、美しく並べられていた。
歓声を上げた真保と千波は、バッグの中から一眼レフカメラを取り出す。菜摘子と私は、スマホを構え、一斉に撮影会が始まった。
上下左右、アップ、引き…。さまざまな角度から写真を撮るために、4人で場所を変わりながら、テーブルのまわりをゴチャゴチャすること10分。
スイーツを撮り終えたら、次は美肌加工ができるアプリを立ち上げ、自分たちの撮影に移る。
「私、そっち側に立ちたいな。真保、場所変わって」
「わかった…。けど、この向きでも撮ろうよ」
それぞれに、写りのいい角度を熟知しているインフルエンサーたちの撮影は、なかなか終わる気配がない。
― いい加減、このくらいでいいんじゃない?
私が、1人おとなしく席に戻ると―。
「エリカ、どうしたの。写真、もういいの?」
「うん、そろそろ食べない?」
セイボリーの段に、スッと手を伸ばす。そして、私はうんざりしながら思った。
― これからまた、いつもの会話が始まるんだろうなぁ。
その予感は、見事に的中したのだった。
「千波、最近YouTubeはどんな感じなの?」
真保が、自然な流れで切り出す。
「いい感じだよ?あと少しで、チャンネル登録者数が200万人ってとこかな」
「へぇ、すっかり人気YouTuberじゃない!でも私まだ見たことないんだよね」
― あ…千波、今、イラッとしただろうなぁ。
私は、早速始まったマウントの取り合いを傍観していた。
「見てくれてなかったの?ひどーい」
千波の顔は、笑っている。しかし、最後の余計な一言に噛みつきたい気持ちを抑えている様子が、透けて見えていた。
「そういう真保こそ、最近どうなのよ?この間も海外に行ってなかった?」
「シンガポールね。“パークロイヤル・オン・ピッカリング”に泊まったんだけど、もう…最高だった」
ハイグレードな庭園ホテルの光景を思い出したのか、うっとりした表情の真保。そこへ今度は、千波が好戦的に仕掛ける。
「いいな。海外を自由に飛び回るなんて、独身の今しかできないよね。真保は、彼氏どのくらいいないんだっけ?」
私が知る限り、確か彼女は、3年前に手痛い失恋をしている。それから浮いた話は聞かない。
「今は仕事が忙しいから…」と、濁した真保は、菜摘子へ話題を振った。
「菜摘子は、コラムの仕事は順調?」
「まぁ、そこそこかな。相変わらず、地味な物書き生活を送ってますよ」
自分のことを、派手に見せたがらないところがある菜摘子。その裏では、取材で知り合った俳優と恋の噂があったり、私の彼氏・智樹やそのまわりの経営者たちとも知り合いだったりする。
このメンバーの中で、1番“食えないやつ”なのだ。
その菜摘子から、次は私へと質問が飛んできた。
「そういえばエリカって、ヨガのインストラクターになったんでしょ?」
「あぁ、うん。でも、資格を取ったばかりだから。これからってところかな」
途端に、スイーツを手に2ショット写真を撮っていた真保と千波から、好奇の視線が向けられる。
「なになに、ヨガ?先生なんだ、エリカ」
「ううん、まだ先生ってほどじゃ」
私は、ポツリとつぶやいた。
レッスンをしなくては―。今、まさに焦っている最中だというのに、いろいろと詮索されるのは気分がいいものではない。
そんな私の様子に気づくわけもなく、千波が口を開いた。
「だけど、エリカがヨガって…ちょっと意外な感じじゃない?ねぇ、菜摘子?」
「え、意外かな?エリカってスタイルがいいし、美人だし。生徒に、ファンが増えそうだと思うけど」
― どうせ、難癖つけられるとは思ってたけど。菜摘子、ナイス!
私は心の中で、小さくガッツポーズをした。ところが、次の瞬間―。
「あれでしょ?“吸って~、吐いて~”ってやつ。やってよ、エリカ」
千波が、意地悪そうな顔でからかってくるものだから、ついカッとなりかけた。
「そんな言い方しないけど!ていうか、千波ってヨガやったことないの?」
ギスギスしはじめたとき、割って入ってくれたのは、菜摘子だ。
「まあまあ、みんなそんなにヨガの経験はない…よね?今度、エリカのレッスン受けにいくよ」
彼女は、いつもこうやって、ピリつきがちな場を和ませてくれる。
「…私、ちょっと」
イライラを静めるために席を立つと、化粧室の鏡の前で大きなため息をついた。
― いつにも増して、イラッとする会だわ。早く帰りたい…。
それでもみんなで集まるのは、お互いをタグ付けして写真を投稿すると、それぞれのフォロワーが、自分のアカウントに流れてきてくれるからだ。
あと1時間の我慢…。
私は、唇をキュッと引き締めて、化粧室を出た―。
「ねぇ、エリカ。このあと、ちょっと時間ある?」
ふいに、うしろから声をかけてきたのは、菜摘子だった。
真保と千波、2人と別れた後。
菜摘子と2人で、近くにあるカフェに場所を移し、向き合って座った。
「菜摘子が誘ってくるなんて、珍しいよね。どうかした?」
「そう?あのさ、エリカって今、レッスンする場所探してたりする?」
彼女の的を射た質問に、ドキッとする。
同時に、先ほどのランチ会でたくさんフォローしてくれた菜摘子に、今の心境を打ち明けたくなる。気づけば、今日まであったことを、スラスラと話し始めていた。
「…で、実は、どこかでレッスンをしてみたいなって思ってるんだけど。スタジオがなかなか見つからなくて、苦戦してるんだよね」
「そっか。新しいことを初めたばかりのときって、その業界に知り合いがいなかったりするから。大変だよね」
菜摘子の真摯な対応は、私をさらに饒舌にさせた。
「本当にそれ!しかも、レッスン料は1時間3,000円とか。ヨガインストラクターって、厳しい世界だよ」
私がぼやくと、このときを待っていたかのように彼女の目の色が変わった。
「エリカ、1時間2万円のレッスンしてみない?」
聞けば、菜摘子の知り合いのヨガインストラクターが、妊娠を機に休職することになったらしい。
そこで代わりに、レッスンを引き継いでくれる人を探しているという。
対象は“個人”で、受講者のほとんどが、会社経営者の男性だそうだ。
そもそも、男性が気軽に通えるヨガスタジオはそう多くない。加えて、グループレッスンでは、時間の融通が利かない。パーソナルレッスンといった形で、依頼してくる経営者が一定数いるというのだ。
― 怪しい…っていうか、危なくないの?1対1で、男の人と個室でレッスンって。
いぶかしむ私に、彼女は続けて言った。
「確か今は、2人生徒さんがいるって言ってたかな?その先生、礼子さんっていうんだけどね。レッスンしてる人は、彼女のもともとの知り合いだとかで。安心だと思うよ」
“安心”と聞くと、少し興味が湧いてくる。
菜摘子いわく、礼子さんは、長らく企業向けのヨガをしていた。それで経営者とつながり、今の個人レッスンの形態を作り出し、ここ3年続けてきたのだそうだ。
― 1時間で2万円ももらえるって、かなりおいしい話だよね。それに、スタジオじゃなくても、レッスンに変わりないし。
さらに、相手はVIP。話を聞けば聞くほど、まさに自分にふさわしいレッスンだと思えてきた。
「菜摘子、私やってみようかな!…あれ、もうこんな時間?ごめん、締め切りとかあるでしょ」
「誘ったのは、私だから!でも助かる、ありがとう。今夜締め切りなの」
彼女と別れた後、私は、ヨガの哲学書に書かれた教えに、思いをはせていた。
基本の教え『8つのルール』。そのひとつに“禁戒”がある。
― 禁戒のなかに“アスティーヤ”、盗まない…っていう教えが、確かあったよね。それって、こういうことなのかな?
まだ聞きたいことがあったが、菜摘子が時計を気にしていたので、解散にしたのだ。
人のモノしかり、自由、時間もまた奪ってはいけない―。それが “アスティーヤ”なのだろうと実感した。
別れ際に菜摘子は「ありがとう」と言ってくれた。それを思い、私はほっこりとした気分にひたるのだった。
◆
ランチ会には遅刻をしてしまったけれど、最近の私は、自分だけでなく人の時間の大切さも考えるようになってきていた。
だから、礼子さんとの打ち合わせの日も、私は5分前に到着して、彼女を待っていた―。
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2022年11月30日