松坂由里香は、パーフェクトな女。
美貌。才能。財力。育ち。すべてを持つ彼女は、だからこそこう考える。
「完璧な人生には、完璧なパートナーが必要である」と。
けれど、彼女が出会う“未来の夫候補”たちは、揃いも揃って何やらちょっとクセが強いようで…?
松坂由里香の奇妙な婚活が、いま、幕を開ける──。
▶前回:特定の住まいを持たず、高級ホテルを転々とする投資家の男。ハイスぺゆえの本性を知った女は…
Vol.6 ロマンチックな男
人けのない夜のオフィスに、似つかわしくないピアノの音が響き渡る。
流れているのは、有名なミュージカルのテーマソングだ。
「52600ミーーーニッツ♪」
PCで作業をしながら熱唱していた由里香だったが、突然、爆音だった音楽が止まる。スピーカーの隣には、しらけた顔をした秘書・星野が立っていた。
「あっ、ちょっと!なんで消すのよ!」
「いや、フツーにうるさいんで…。てか、いつも残業のとき音楽なんて聞かないじゃないですか。急にどうしちゃったんですか?」
何気ない星野からの問いかけに、由里香はうっとりと瞳をきらめかせる。
「だって本当は今日、ジョージさんの家にはじめてお呼ばれして、この曲をピアノで弾いてもらう予定だったんだもん。
それに、手料理もご馳走になるはずだったんだよ。ピアノと料理が趣味の男性なんて、なかなかいないよねぇ」
「で、その素敵なデートが、突如ドタキャンされた…と。大丈夫ですか?その人。出会いはナンパだったんでしょ?遊ばれてないですか?」
訝しげな表情の星野に、由里香は思わずムキになる。スマホを手に取り手早くインスタを立ち上げると、星野の目の前に突きつけた。
「そんなことない、ただ忙しいんだよ!ほら、いつもはこまめに更新されてるインスタも、今日は更新されてないし」
「ジョージ」の名前を冠したページには、今日は一件の写真もストーリーも投稿されていない。ハリウッド俳優と見紛うようなハーフ系イケオジのプロフィール画像が、白い歯を光らせているだけだ。
由里香はため息を漏らしながらそのプロフィールを見つめたあと、キッと星野を睨みつける。
「9店舗もヘアサロン経営してるオーナーなんだから、忙しいのは仕方ないのよ。
それに、あれはナンパっていうか…もっとずっとずっと、ロマンチックな出会いだったんだから…!」
失敗続きの婚活に意気消沈した由里香が、ひとり『ウィスク/メズム東京』でアフタヌーンティーをやけ食いしていたときのこと。
突如、ラウンジのピアノが美しい音楽を奏で出した。
聞き覚えのある、切ないミュージカルの楽曲。曲に込められた「僕が君を守る」というメッセージを、情感たっぷりに弾き上げるエキゾチックな顔立ちの男性──。
その男性…ジョージはピアノを弾き終えると、ゆっくりと由里香の方へとやってきて、体の奥底を優しく撫でるようなバリトンボイスで囁いた。
「あなたみたいな綺麗な人が、どうしてそんなに寂しそうなの?」…と。
「まあ、ナンパといえばナンパなんだけどさ。この前の人があまりにも効率的すぎたから、ロマンチックな展開にグッときちゃって♡
やっぱり結婚するなら、いつまでも恋人同士みたいな関係でいられるのが理想だし!」
ジョージとの出会いを思い出して恍惚となる由里香だったが、星野から返ってくるのは、あくびを噛み殺しながらの適当な相槌だ。
「ほーん。そして今日は、そのロマンチックな男性からドタキャンされて、寂しく残業…」
「うるさいっ」
先ほどよりも鋭い目つきで星野を睨んだ由里香は、頭を小さく振って邪念を払い落とす。
そしてジョージに想いを馳せながら、まるでピアノを弾くようにリズミカルに、PCのキーボードを叩くのだった。
◆
翌日の夜。
― はあ、さすがに2日連続残業は避けたいなぁ。かと言って予定もないし…。
18時半を指した時計をボーッと見つめていると、ふと、デスクの上のスマホがLINEの通知を告げた。
「あっ、ジョージさん!」
ジョージからのメッセージは、昨日会えなかったことへの謝罪から始まり、こんなふうに続いていた。
<今、由里香ちゃんの会社の最寄りの恵比寿駅まで来てるんだ。突然だけど今夜、昨日のやり直しができないかな?何時まででも、由里香ちゃんを待ってる>
一気に体温が上がった由里香は、考える間もなくオフィスを飛び出し、恵比寿駅へと駆け出した。
駅前のロータリーに停められた、アルファ ロメオのジュリエッタ。由里香の姿を見つけるなりその運転席から降りてきたジョージは、真っ赤な花束を抱えている。
「昨日はごめん。これ、お詫びのプレゼント。ああ、車のドアは僕が開けるから!女の子は優しくされるのが仕事だよ」
「ジョージさん…」
ジョージのエスコートで助手席へと座った由里香は、センス良くまとめられた、ポインセチアのブーケの香りを胸いっぱいに吸い込む。
はにかむ由里香の横顔をじっと見つめながら、ジョージはいたずらっぽい微笑みを浮かべて言った。
「赤いポインセチアの花言葉は、知ってる?」
「いえ、知らないです。何ですか?」
ジョージはアクセルを踏み込みながら、さらっと答える。
「『僕の心は燃えている』…だよ。じゃあ、行こうか」
― はぁ〜!ロマンチックー!!
由里香の体に甘い痺れが走り抜ける。
鼓動の高まりか、エンジンの響きか判断がつかないまま、由里香は今夜が運命の夜であることを予感しはじめていた。
◆
アルファ ロメオが到着したのは、祐天寺の住宅街の一角にある一軒家だ。
「おじゃましまーす…」
玄関を進んだリビングには、黒く艶めいたグランドピアノが鎮座している。
ジョージは早速ピアノの蓋を開けたかと思うと、軽いタッチで短いジャズを弾いて言った。
「由里香ちゃん。今夜、泊まっていける?」
「えっ…と、どうしようかな」
こうして自宅までついてきたのだ。もちろん、そうなることには納得している。
ただただ焦らす目的でもったいぶってみただけだが、ジョージはパタンとピアノの蓋を閉じると、安心させるような微笑みを由里香に向けた。
「今決めなくてもいいよ。由里香ちゃんのこと、大切にしたいと思ってるから。…じゃ、何か作るね。ラムを焼いて、あとはパスタでいいかな?」
「あ、私もお手伝いさせてください」
― ロマンチックなだけじゃなくて、紳士的…。ジョージさんとなら、完璧な結婚生活が送れそう!
キッチンでふたり並んで料理をしていると、まるで本当の夫婦になったみたいだ。思わず口元が緩む。
けれど、そんな幻想が崩れ落ちるのはあっという間のことだった。
「でも、ジョージさん。ひとり暮らしなのに一軒家って珍しいですね!やっぱり気にせずピアノを弾くためですか?」
玉ねぎをむきながら何気なくそう聞くと、ジョージは再びピアノの方へと戻り、驚きの言葉を放ったのだ。
「うん、もちろんそれもあるけどね。ひとりじゃない時期もあったから」
― ん?
答えの意味がよくわからなかった由里香は、率直に尋ねる。
「えーと?それって、前に結婚してたってことですか?」
「うん、そうだよ」
一瞬動揺したものの、由里香だって古い女ではない。
離婚なんて、今時は当たり前。肝心なのは、なぜ離婚したのか…その理由だ。
「あの…もしよければ、どうして離婚したのか聞いてもいいですか?」
するとジョージは、遠い視線を明後日の方へと向け、寂しげな声で語り始める。
「もちろん。由里香ちゃんには、僕のすべてを知ってほしいと思ってる。僕がこうしてひとりになった理由はね…」
ジョージが話した理由は、こうだった。
結婚してしばらくの間は、妻はいつでも自分の愛に応えてくれる素晴らしい“恋人”であったこと。
けれど次第に、家事や仕事や生活に追われて、ムードを大切にしてくれなくなったこと。
とくに子どもが生まれてからは、身なりも気にせず、口うるさくなり、愛を語り合うことを忘れてしまったこと。
すっかりたくましくなってしまった妻は、もはや“愛する恋人”ではなく、“子どもの母親”になってしまったこと…。
「え?ジョージさん、子どもいるんですか?」
「うん、どの妻との間にもいるよ。そして皆、最後は僕を口汚く罵るんだ。『父親としてしっかりしろ』『家族のために大人になれ』って。
でも、僕だって父親である前に、繊細なひとりの男なんだ。昨日みたいに、つい飲みすぎて約束を果たせないことだってある。それに…」
「ちょちょちょ、ちょっと待って。昨日のドタキャンって、二日酔いだったんですか?
っていうかその前に、『どの妻も』?え?何回も結婚してたんですか?」
「言ってなかったっけ?3回だよ」
まさかジョージがバツ3の子持ちだなんて思いもしなかった由里香は、一気に気が遠くなってしまう。
いや、バツ3が問題なのではない。
いつまでも大人になりきれず、現実を生きることができない成人男性が、目の前にいる──その事実は、由里香にとって受け止めきれない衝撃だった。
放心する由里香のもとにジョージは慌てて駆け寄り、困ったような表情を向けた。まるで、「心配しないで」と語りかけるように。
「でもね…妻たちとの別れがあったからこそ、君という本当に守ってあげたい女性に出会えた…。由里香ちゃん、愛してる」
その言葉とともに、ジョージの唇がゆっくりと近づいてきたけれど…。
由里香は、すでにキッチンを後にして玄関の方へと歩き始めていた。
そして、最高に可愛らしい表情を浮かべて言い放つ。
「いえ、自分の身くらい自分で守れるので。今夜は、現実が見えてない男から身を守ろうと思います。では!」
◆
「は…は…ハックション!」
翌日の朝。
オフィスに鳴り響いていたのは、ロマンチックな音楽ではなく、由里香の大きなくしゃみだ。
― あ〜、昨日の帰り、住宅街で全然タクシー捕まらなかったから風邪ひいた…。
またしても不発に終わった婚活に、がっくりと肩を落としたその時。デスクの片隅にマグカップが置かれる。
星野がいれてくれた、温かなミルクティーだった。
「星野くぅん…!」
露骨すぎない優しさが染みた由里香は、瞳を潤ませて星野を見つめる。けれど、星野の態度は例の如くロマンチックさのかけらもない。
「体調悪いなら、病院行くか家で寝ててくださいよ。大人なんだから、自分の身くらい自分で守ってくださいね」
由里香は出かかった舌打ちをどうにか抑えると、星野を睨みつけながらマグカップを手に取る。
そして、ぶつけられたばかりの冷たい小言を、無糖のミルクティーでぐびりと飲み下すのだった。
▶前回:特定の住まいを持たず、高級ホテルを転々とする投資家の男。ハイスぺゆえの本性を知った女は…
▶1話目はこちら:お泊まりデートの翌日。男は先にベッドを抜け出し、女の目を盗んでこっそり…
▶Next:12月5日 月曜更新予定
現実の見えない男に疲れ果てた由里香。次なるお相手、“健康的な男”との相性は?
「バツあり男性も全然OKだけど…」婚活女子が絶対に受け入れられなかった、彼の離婚理由
2022年11月28日