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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【28】引き抜き戦争の煽りを食った国際プロレス崩壊

アサ芸Biz

 国際は8月9日の北海道・羅臼町羅臼小学校グラウンドにおける「ビッグ・サマー・シリーズ」最終戦をもって事実上、崩壊。国際の崩壊が確定した時点で、新日本と全日本は動き出した。

 全日本は国際の最後のシリーズに参加中のジプシー・ジョーとコンタクトを取り、8月20日開幕のシリーズに参加させ、新日本は国際の崩壊が公になる前の9月7日、国際と共に京王プラザホテルで共同記者会見を行い、10月8日の新日本・蔵前国技館で「新日本=国際全面対抗戦」の開催を発表した。

 会見には、国際から吉原社長、ラッシャー木村、阿修羅・原、アニマル浜口、寺西勇が出席。猪木vs木村の頂上対決、藤波辰巳(現・辰爾)vs原のジュニア頂上対決、長州力vs浜口、タイガーマスクvsマッハ隼人、星野勘太郎&剛竜馬vs寺西&鶴見五郎の5カードが発表され、国際側は「この全面対抗戦に全てを賭ける。これに敗れれば発展的解消もあり得る」と宣言した。

 発展的解消の末に全選手を引き取ってもらうのが吉原社長の望みだったが、猪木が欲しかったのは、闘志満点の浜口、23歳の時に自ら社長兼エースになりながら3シリーズで終焉を迎えた東京プロレスにいた木村、寺西だけだった。

 新日本の会見から9日後の9月16日、全日本はマイティ井上、米村天心、菅原信義(アポロ菅原)、冬木弘道の元国際4選手の入団を電撃発表。

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 井上は8月25日の段階で国際が解散したことを公表した上で「何人かの選手が吉原社長とともに新日本との対抗戦に出ていきますが、自分は国際プロレスで鍛え上げた力を試すのは新日本のリングが全てではないと思い、全日本のリング上で立派に国際プロレス魂を見せる覚悟です」と所信表明。また阿修羅・原も新日本との対抗戦をキャンセルして全日本に身を投じた。

 日本プロレス界は81年秋から、新日本と全日本の2団体時代に突入した。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

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