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長嶋茂雄×野村克也「実録ライバル史」(9)「プロに入る前に人間を作ってもらう方が先だ」

アサ芸Biz

 長嶋が翌54年4月に入学すると、砂押監督は上級生2人を専用コーチにつけて徹底した英才教育に乗り出す。砂押もまた、連日激しいノックを浴びせた。

 伝説の「月夜のノック」。夜間練習でボールが見えなくなる。石灰を塗る。これを長嶋は素手で捕る。一歩間違えば骨折だ。極限状況下で師弟の真剣勝負である。この猛練習で長嶋の技術は飛躍的に伸びていった。

 砂押は周囲の反対を押し切り、1年時から公式戦で起用した。翌55年、砂押監督は秋のシーズン直前に辞任した。「練習が厳し過ぎる」が理由の排斥運動によるものだった。

 砂押は約1年半、長嶋に基礎を叩き込んだ。2年秋の開幕戦で初めて「4番・サード」で出場し第1号本塁打を放った。3年時には六大学を代表するスター選手になった。

猪狩雷太(いかり・らいた/スポーツライター)スポーツ紙のプロ野球担当記者、デスクなどを通して約40年、取材と執筆に携わる。野球界の裏側を描いた著書あり。

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*週刊アサヒ芸能12月1日号掲載

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