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芥川賞作家・今村夏子の、【信頼できない語り手】マジックがすごい

ホンシェルジュ

 

あらすじ

むらさきのスカートの女 (朝日文庫)
著者今村 夏子 出版日

近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性と友達になりたいと考えている〈わたし〉は、彼女に近づく方法を画策し自分と同じ職場で働きだすように誘導する。無事に同じ職場で働くことに成功したのだが……

 

『むらさきのスカートの女』の魅力①圧倒的に読みやすい、だからこそ不気味さが加速する文体

今村夏子さんの小説の大きな特徴はその文体である。

芥川賞受賞作品、ということで“難しい純文学”というイメージを持つ人もいるかも知れないが、決してそんなことはなく非常に読みやすい。

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難解な比喩表現や情景描写にページを割くこともなく、淡々と、淡々と、スケッチをするように登場人物の姿を描いていく。

今どこで誰が何をしているのか、ということを見失うこともなく、読んだ人全員が理解できるだろう。

そして、全員が理解できるからこそ描かれている内容の不気味さが際立ってくる

確かに描かれるのは日常の範疇の出来事かも知れないが、その出来事をドラマチックにするわけでもなく、日常の延長線上のままの文体で描くことで、その裏にある恐怖や不気味さが更に加速するのではないだろうか。

 

『むらさきのスカートの女』の魅力②語り手をどこまで信頼するのか

この小説は一人称視点で進んでいく。

語り手(=わたし)が見ているものを語っていく構成だ。

語り手は執拗なまでに“むらさきのスカートの女”のことを語っていく。

自分自身のことはほぼ語らず“むらさきのスカートの女”の行動だけを追いかけ続ける。

最初はいわゆる町の変わり者のように描かれている“むらさきのスカートの女”の行動を語り手と共に読者も追いかける。

 

むらさきのスカートの女を一日に二回見ると良いことがあり、三回見ると不幸になるというジンクスがある

と、町の人に言われるほどに“むらさきのスカートの女”の存在は謎に包まれている。

いつもむらさき色のスカートを穿いて、ツヤがなくパサパサしている黒髪をしている。

働いているかどうかも分からない人物のことを読者は疑問に思う。

「一体“むらさきのスカートの女”とは何者なんだろう?」と。

 

最初は、私も“むらさきのスカートの女”の正体や、語り手である〈わたし〉と彼女の邂逅が物語の軸になると思っていた。しかし、読み進めても何も起こらない。

同じ職場で働き、関わりはあるはずなのに“むらさきのスカートの女”と語り手が会話をするシーンすら見当たらない。

それでも、語り手は執拗に“むらさきのスカートの女”を追いかけ続ける。

動機は一貫して“友達になりたいから”だ。

 

次第に疑問が募ってくる。

語り手(=わたし)は“信頼できる語り手なのか?”

 

物語を進める技法のひとつに“信頼できない語り手”と呼ばれるものがある。

叙述トリックを用いたミステリーなどでよく使われる手法で、語り手が実は事件の犯人だった、とか、虚言癖があり嘘ばかりついている語り手だった、など様々な手法で読者を惑わせようとしてくる。

今作の語り手も信頼できるかどうか段々と怪しくなってくる。

確かに、そこに存在するはずなのに語り手の視点からは、誰かに介在されている様子がほぼ見当たらない

反対に、新しい職場で働き始めた“むらさきのスカートの女”は冒頭のような町の変わり者というイメージからかけ離れていく。

仕事をきちんとこなし、他人とコミュニケーションを取り、一般的な社会人という風に変わっていく。

 

そうなってくると、語り手が語っている世界が“この世界の真実”かどうか怪しくなってくる。本当に“むらさきのスカートの女”は町の変わり者なのか?語り手が“そうあって欲しい”という思い込みから虚偽の語りをしているだけではないのか?また、本当に“むらさきのスカートの女”は存在するのか?語り手は存在するのか?などと考えてしまう。

進行していく物語の平凡さと比較して語り手の謎は深まっていくばかりだ。

そして、序盤に描かれていたとある疑惑が段々と大きくなっていく。

 

最近になって家賃を工面することをすっぱり諦めたわたしのように

 

『むらさきのスカートの女』の魅力③語り手の無自覚な目

コメディの基本は“笑いに無自覚な目”だと聞いたことがある。

登場人物が窮地に追い込まれて、その状況から必死に抜け出そうとしている姿を第三者である観客が見ることで笑いが生まれるのだ。

その人物が必死であればあるほど笑いは大きくなっていく。

反対に、その人物が観客を意識して「どう?これ面白いでしょ?」というような目でいたら、笑えなくなってしまう。笑いを意識した瞬間に笑いは消えてしまうのだ。

 

本作の語り手はあらゆることに無自覚な印象を受ける。

家賃を工面することを諦めた所から始まり、“むらさきのスカートの女”を追いかけて超えてはいけないラインを易々と超えていく様子が語られていく。

しかし、その語りに一切迷いはない。

自分が人として良くないことをしている、という自覚がない(あるいは自覚はあるが、語りの上ではそれを出さないようにしているのか)。

その無自覚な目に形容しがたい魅力を感じる。

笑うべきなのか悲しむべきなのか分からないが、語り手が自分の目的を果たすために社会に囚われずに生きている姿、自分は間違っていないと堂々と語ってみせる姿があるからこそ、その裏側で起きているであろう“よくないこと”がぼんやりと想像できて、より面白く感じるのだと思う。

 

まとめ

作者の今村夏子さんは『こちらあみ子』以来新作をしばらく発表していなかったため、半ば引退のような状態になっていた。しかし「あひる」という短編を発表して以来、コンスタントに作品を発表していき、様々な文学賞を受賞していった。

最初の衝撃が強すぎたため、次作への期待も大きかったが「あひる」も変わらず“凄いものを見た”という感覚になった。今後もこの人の作品を読み続けて行こうと決意を固めたのだった。

芥川賞を受賞した『むらさきのスカートの女』は、そんな今村夏子さんの代表作であるとともに、作家性を充分に理解できる素晴らしい作品だと思う

 

この作品には様々な要素が含まれている。

文庫解説によれば一般読者からのコメントでは〈外見への執着についての話〉〈日本社会の病巣ともいえるいじめやストーカーの話〉〈女性が居場所を得にくいことを指摘している〉という人もいれば、〈作品で用いられる視点の巧みさを称える〉人もいたらしい。

私は散々書いてきた通り、視点の巧みさ、語り手の面白さにこの小説の価値を見出している

小説は書かれていることが全て、だと思っていた自分の価値観を揺るがしてくれた「ピクニック」と同じように『むらさきのスカートの女』でも私に小説の多様な楽しみ方を提示してくれた。

これからも色々な小説を読むのが楽しみになりました。

 

message:#今月の偏愛本

notice:ホンシェルジュ Twitter

writer:レッドブルつばさ Twitter

 

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2022年11月27日

提供元: ホンシェルジュ

 
   

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