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Twitterで話題の麻布競馬場『背伸びして住んだ麻布十番の思い出』

東京カレンダー

Twitter上にツリー形式の東京物語を連投し、人々の心をざわつかせ続ける覆面小説家・麻布競馬場。

彼は大学卒業後から8年間、麻布十番で暮らし、港区とともに成長してきたという。

不安と希望が交錯し、葛藤した日々を今、「東京カレンダー」に書きおろす!


「東カレっぽい街」で、情けない僕は少しだけ大人になった


「麻布十番って東カレっぽいよね(笑)」

どこに住んでいるのかと聞かれて素直に麻布十番だと答えると、かなりの確率でそんな言葉が返ってくる。

世間から見れば麻布十番とは東カレの誌面の中にだけ存在する街であり、あらゆるお店の薄暗いカウンターにはシャンパングラスの華奢なステムに華奢な指を絡めながら、アンニュイな表情を浮かべる黒いワンピース姿の美女(肩から先がレースになっている)が何十人も窮屈そうにズラリと並び、ピンヒールで踏みしめられた商店街の石畳には無惨にも無数の穴ぼこが空いていて、それら穴という穴から黒トリュフやホワイトアスパラガスやカッペリーニがワサワサと生えてくる街だと思っている人もいるらしい。



麻布十番には8年ほど住んだ。当時勤めていた会社に行きやすかったし、三田で大学生をやっていた頃から六本木のあたりで遊ぶことが多かったし、まぁそういう合理性で選んだだけッス、みたいな涼しい顔をしていたけど、実のところ地方出身者特有の田舎臭い憧れに駆り立てられただけだった。

慶應卒、30歳で1本に届く有名企業勤務、就職記念に親が作ってくれたオーダーメイドの紺のスーツにはナポリ製の茶色いネクタイ。

僕はつまり東カレ的な「港区男子」であり、そんな僕が住むなら東カレ的な街、それはつまり港区であり、麻布十番でなくてはならないと思ったのだ。


「麻布十番」在住、哀れでみじめだった自分


「次は広尾一丁目……」

その日も都バスに乗って飲み会に向かっていた。せっかく麻布十番に住んだのに恵比寿や渋谷の安いお店でデートしていた。

家賃12万の家は安月給の新卒の身には重たすぎたし、その割に部屋は狭すぎた。ウサギ小屋みたいな1Kの西向きの窓からは隣のビルの黒ずんだ灰色の壁ばかりが見えた。

家賃を払い、水道光熱費なんかを払い、たまには新しい服を買ったりした後に残ったお金では、麻布十番の「東カレっぽいお店」でお金のかかるデートを毎週やる余裕はなかった。

夜遅くに「網代公園」のあたりのコンビニに行く途中、全身ゴルフブランドで固めたお金を持ってそうなおじさんと、例の肩から先がレースになっている黒いワンピースを着た若い女の子が老舗のイタリアンから出てきた。おじさんは女の子の腰に手を当てていた。ふたりはすぐにタクシーに乗って去っていった。

その光景があまりに「東カレ的」で、そのとき僕は小さく笑ってしまった。

それは彼らや東カレに向けられた嘲笑ではなく、「30歳で1本に届くかな」くらいのレベルの低い自慢をしてゼミの飲み会で偉そうにしちゃったりして、それでノコノコと麻布十番に出てきた哀れでみじめな自分自身に向けられた嘲笑だった。


転職をしたり、副業をしたり、自分で小さな事業を立ち上げたりするうちに懐事情は多少マシになった。麻布十番の「東カレっぽいお店」にもデートで行けるようになった。

そうしたら今度はそれまで見えなかった「さらに上」が見えるようになった。

気合の入ったデートの夜。ギリギリ予算内のフレンチで僕が会計を気にしながらチマチマと魚料理をつつく隣のテーブルでは、ダメージが入りすぎてほぼ半ズボンみたいなジーンズを穿いた男たちが、その日の僕の支払い額より高いであろうブルゴーニュワインのボトルをポンポン開けながら予約困難店の品評会をやっていた。

「六本木ヒルズ」の長い長いエスカレーターを想像した。高速で動く下りのエスカレーターに乗せられて、必死で上へ上へと上っても、多少進んだだけで同じような位置で足踏みしているような、そんな感覚がずっとあった。

自分より下にいる人たちを見れば安心できるかと思ったけど、それは過去の自分を見下すだけだと気づいたからやめた。


コロナで変わった生活、変わらなかった価値観

そのうちコロナがやってきた。毎日のように入っていた飲み会がなくなって、代わりに家でひとりで過ごす時間が増えた。

よく行っていたお店の様子はどうだろうかと、仕事が早く終わった日になんとなくひとりで行ってみた。南麻布の『タストゥー』。お店の奥にカウンターがあってそこに通してもらった。

前菜は軽くスモークしたサーモンにフォアグラのミキュイ。メインはホタテのソテーに豚のロースト。目の前にはソムリエさん。こっちが王道のペアリングだけどチャレンジ枠でこっちも……と、グラスワインをいくつも出してくれた。いっぱい飲んだ。楽しかった。

元ラガーマンのシェフは、大きな体を揺すってキッチンから出てきて見送ってくれた。

2020年の暮れの帰り道。風は冷たかったが心地良かった。なぜだかその夜、やっとこの街と向き合って、そして仲良くなれた気がした。麻布十番に住んで早6年が経っていた。

リモートワークもすっかり普及して、湘南あたりに引っ越してしまった友人もいた。一度遊びに行った。素晴らしい戸建てだった。

ずいぶん日焼けしていると思ったら、出勤前にサーフィンをやるのだと言っていた。広いキッチンには大きなエスプレッソマシン。大きな犬も飼い始めていた。

庭でBBQをやった。夏の夕暮れ。風の中に海の匂いがして、黒いラブラドールレトリバーの頭をツルツルと撫でながら飲むビールはひどく旨かった。

少し心が揺らいで、帰りの横須賀線で”スーモ”を開いてしまった。



それでもやっぱり、僕は東京が好きだ。麻布十番が好きだ。

スーパーが3つも4つもある。百均もある。品ぞろえのいい酒屋もある。仲間内でワイワイやる気軽な店もあれば、たまに気合を入れてジャケットでも着て行きたいお店もある。川辺には公園がある。

少し歩けば六本木や広尾に出られる。だいたいの街にタクシーですぐ行けるし、遅くまで飲んでもすぐに帰ってこられる。友達がたくさん住んでいる。なじみのバーに行けばたいてい誰かがいる。

そして何より、ダサかった頃の自分が、そこから脱するためにひたすらに格好悪く足掻いた頃の自分が、この街のいたるところに潜んでいるような気がする。

どんな過去も過ぎ去れば愛おしく感じるものらしい。僕が何年も不格好にしがみつき続けたこの街が、僕は好きだ。


好きな街と仲良くなるためには

人と仲良くなるには一緒にいるのが一番であるように、街と仲良くなるにはそこに住むのが一番いい。

僕は欲張りだから、好きな人のことも、好きな街のことも、なるべく深く理解したい。理解すればするほど、そこにいるのが楽しくなる。

初めて訪問したレストランで常連のような扱いを求めるのが下品であるように、好きな街には敬意としてのコストを払うべきだ。少なくとも僕はそう思っている。

僕にとってその方法が、苦しくとも麻布十番に住み続けることであり、その中で僕なりの楽しい暮らしを見つけ出して、この街にわずかなお金を落とし続けることだった。


予定のない晴れの日曜。午前中は掃除や洗濯をして、お昼は『田舎家』で純豆腐チゲを食べて、コーヒーを飲んだら仕事をして、時間があったら本でも読んで、そうしているうちに日が暮れる。

今日はどこに飲みに行こう?”マツキヨ”の通り沿いの『京まる寿司』にでも行こうか。

まずは刺盛りを適当に見繕ってもらって、生牡蠣があったら出してもらって、あとホタテの磯辺焼きも外せない。季節の野菜があったら焼いてもらおう。握りは飛ばして巻物ばかりを頼んでつまむのもいい。お気に入りは穴きゅう、梅きゅう、それとトロたく。

日本酒をたくさん飲んでいたら大将が気を良くして炙った海苔なんかをサービスで出してくれる。さらに気分が良くなって熱燗なんかも頼む。最後は味噌汁で〆る。

お会計はそれで1万円と少し。現金しか使えないから気をつけないといけない。


今週は打ち合わせと称した飲み会続きだったから、家でのんびりワインを舐めるのも悪くない。

商店街の『ボン・ルパ』にでも行こうか。ヨーロッパに限らず、世界各国のワインがそろっている。お店に入ると顔見知りの店員さんがニヤニヤと近づいてきてくれる。

「今日はどうしましょう?」「家で飲むからお手頃なやつでいいかな〜」。なじみのお店では格好つける必要なんてない。

2,000円台のナパのシャルドネを出してくれる。同じワイナリーのカベルネ・ソーヴィニヨンの出来が非常に良かったと言われたら買わない手はないだろう。4,000円と少し。乗せられた気はするが悪い気はしない。生ハムも切ってもらって、ワインに合わせてチーズも選んでもらう。

会計を済ませて外に出る。シャルドネか。『ナニワヤ』で天草の地鶏でも買って、レモンとバターの少し焦がしたソースで食うか。

結局その日のうちにシャルドネは飲み切ってしまって、カベルネ・ソーヴィニヨンにも手を出してしまった。休肝日に飲む酒が一番旨い。


「本物の東京」とはなんだろう?

この間、本を出した。東京に暮らす20人の挫折や諦めを描いた短編集。褒められることもあれば叩かれることもある。

「麻布競馬場は本物の東京を知らない」

そんなことを言われた。では本物の東京とはなんだろう?

僕に言わせれば街というのは本であり、それはプルーストの『失われた時を求めて』よりも長くて、日々古いページが新しいページに差し替えられる魔法の本で、人間ごときの一生のうちにそれを読み切るなんてことはできやしない。

そこには芳醇な内面性があり、それに惹かれて近づいても、そのすべてを理解するなんてことはできやしない。

そうして傷ついてもやはり離れがたく、また近づいてしまう。街にはそういう魔力がある。ある街の本質を理解できる、なんて思うことは傲慢だとすら思う。

われわれは街をさまざまに消費しているようで、実のところ街という恐ろしく大きな機構を生かし続けるためにお金を落とし続けるだけの、哀れなミツバチに過ぎないのかもしれない。



この夏、事情があって麻布十番から引っ越すことになった。でも引っ越し先は隣町の白金高輪で、麻布十番へは今でも歩いて行けるし、結局ほぼ毎晩麻布十番で飲んでいる。

でも最近は「若者の麻布十番離れ」が進んでいるらしい。みんな代々木上原や学芸大学でラムパクチー焼売なんかをつつきながらオレンジワインやクラフトビールを飲むらしい。

令和は肩の力の抜け感がトレンドらしい。だから、肩にバツバツに力の入った”麻布十番デート”みたいなのは流行りじゃないらしい。


「麻布十番って東カレっぽいよね(笑)」そんなことを言われたとき、僕はニヤリと笑ってこう返す。

「麻布十番が東カレっぽいだけの街だと思ってるならまだまだだね(笑)」。

そうして僕の長い長い麻布十番談義が始まり、みんな一様にダルそうな顔をする。愛する麻布十番のためなら喜んで嫌われ者になろうと思う。東カレだって同じ気持ちだろうと思う。

何かを愛するものの背中は、いつだって必死で、いつだって誰かから笑われていて、そして少しだけ格好良い。


■プロフィール
麻布競馬場 1991年生まれ。著書『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(集英社)が好評発売中。Twitter ID:@63cities


 
   

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