東京…特に港区は、ウソにあふれた街。
そんな港区を走る、すこし変わったタクシーがある。
ハンドルを握るのは、まさかの元・港区女子。美しい顔とスタイル。艶のある髪。なめらかな肌…。
乗客は皆、その美貌に驚き、運転席の彼女に声をかける。
けれど、彼女と話すには、ひとつルールがあった。
「せめて乗車中はウソ禁止です」
乗客たちは、隠れた本音に気づかされていく――。
▶前回:「夫とは愛し合っているけれど…」港区在住の子持ち妻・34歳が、離婚を決意した理由
泉岳寺~泉岳寺 基樹を乗せて
「泉岳寺までお願いします」
泉岳寺からタクシーに乗ってきた男性客が、そう告げた。
ハンドルを握ったまま、舞香は首をかしげる。
「…ここは泉岳寺の周辺ですが?」
「はい。2時間ぐらいドライブしてもらって、また泉岳寺に戻ってきてください。お金はいくらでも払うので」
面倒な乗車理由ではある。が、こういう客も“まれ”にいる。
いつもの完璧な笑顔で、舞香は答えた。
「わかりました。では一般道を回ることにします」
アクセルを踏んで走り出したとき、男性客が口を開く。
「せっかくだからドライブの間、話をしましょう」
これは“まれ”ではない。運転手が女性だとわかると、そう言ってくる男性客は本当に多い。
「いいですよ」と快諾しつつ、いつもの条件を出す。
「ただし乗車中はウソ禁止です。それでも良ければ話をしましょう」
「面白いなあ。わかりました。ではウソはつきません。
僕の名前は辻原基樹と言います。27歳。小さいけれど人材派遣の会社を経営しています。
パーソナルトレーナーを派遣したり、仲介する仕事です」
基樹自身も鍛えているのだろう。バックミラー越しに見える彼の身体は逞しい。
「今日は、時間つぶしのためタクシーに乗りました。
理由は、今から2時間ほど自宅に戻ることができないからです」
基樹は、なぜ自宅に戻れないのかを、話し始めた。
「自宅は100平米ほどあって広めなんですが、友達とシェアしています。その友達というのが…実は女性で。
僕がパーソナルトレーナーをしていたころ、お客さんとして知り合いました。男女の関係になったことのない、本当の友達です」
そこまで言ったものの、続きの言葉が出てこないようだ。舞香はバックミラーで基樹を一瞥した。
何かを言い淀んで、わずかに失笑しているところだった。
「彼女とは、1年前からルームシェアを始めました。
異性の壁を越えた友達、だと思って始めたんですけど…気づけば、女性として好きになっていたんです」
「それはそれで、よろしいことじゃないですか」
基樹は「違うんです」と返す。
「好きになったことを彼女に言えないんです。友達関係が壊れて、疎遠になるのが嫌で…」
基樹が自嘲気味に笑う。
「鍛えているのに、情けない男ですよね」
友達を好きになったことと、体を鍛えていることとは、なんら関係ないと思ったが何も言わなかった。
「で、彼女は今、男の人を家にあげているんです。
その間は『家に帰ってこないでほしい』と言われてます。だから、時間をつぶさないといけないんですよ」
「彼女が男性を家にあげるのは、初めてですか?」
「いえ、何度かあります。そのたび僕は時間をつぶしています」
「家にあげている男性は、お客様の知っている人?」
「知らない人だと思います。知っていたら、家を追い出したりしませんよ」
「つまり、彼女の恋人なのでしょうか?」
少しの沈黙のあと基樹が答える。
「たぶん、そうだと思います」
「本人には確かめてない?」
「いえ、確かめました。『彼氏ではない』と言われました…けど、本当のところはわかりません」
「今回のようなことは、これまで何度かあるとおっしゃいましたが、彼女が家にあげる男性は、いつも同一人物ですか?」
「それも確かめました。どうやら毎回違う男の人みたいです」
「だとしたら、やはり彼氏ではないのでは?」
畳みかけるように告げると、基樹は押し黙る。
「僕としては、彼氏じゃないと思いたいです。好きな人に彼氏ができるのは、やっぱりショックですし…。
それでも、色んな男性を家にあげていることに変わりはないので、それはそれでショックというか…」
乗車直後の堂々とした態度はとうに消え、基樹は逞しい身体を縮ませている。
タクシーは、東京タワーを中心に旋回するように走り続けた。
「ひとつ疑問があるのですが」
舞香は言った。
「彼女が、恋人のいないフリーの状態だとして、色んな男性とデートして家にあげることは、おかしいことではないと思います。
でも、お客様とルームシェアしている家ですよね?だとしたら自分の家ではなく、相手の家に行くのが自然だと思うのですが…。
わざわざ、お客様とシェアしている家に男性を呼ぶ理由がわかりません」
「僕もそれは疑問に思ってます」
「本人に確認しました?」
「そこまでは、さすがに聞けませんよ…。男を家にあげるのはやめてくれ、と言ってるみたいで」
「言ってもいいじゃないですか」
ふたたび畳みかけるように言うと、やはり基樹は押し黙ってしまう。
仕方なく舞香は、自説を述べた。
「彼女の考えが、私には何となくわかるのですが…」
「彼女はおそらく、男性を試したくて、家にあげているんだと思います」
「…どういうことですか?」
「男友達とルームシェアしている女でも口説いてくるのか、試しているんだと思います。
いわばハードルです。そのハードルを越えてくる男がいたとき初めて、彼女はその男性を彼氏候補として見るのではないでしょうか」
舞香はバックミラー越しに後部座席を見る。基樹は、呆気に取られたように目を見開いていた。
「ですから私は、彼女に『恋人がいない』ことは事実だと思います。同時に『恋人を探している』ことも事実だと思います。
すると、新たな疑問がひとつ湧いてきます」
いつからか舞香は、名探偵のような気持ちになっていた。
「彼女が、もし本当に恋人を探しているのであれば、お客様とのルームシェアを解消すると思うんです。
たとえ金銭的負担が大きくなったとしても、たとえお客様と“本当の”友達であったとしても…」
「そういうものでしょうか…」
基樹は自信なさげに呟いた。
「彼女が、なぜお客様とのルームシェアにこだわるのか、理由を考えたことはありますか?」
「正直、それは…あります」
基樹はトーンを落として話し始める。
「もしかしたら、彼女も僕のことが好きで…だからルームシェアを続けていると考えたことはあります。でも、それは思い込みだと思うんです」
「なぜですか?」
「彼女は口癖のように『お金を持ってる人が好き』って言うんです。僕はそれに当てはまりません」
ルームシェアとはいえ、港区の100平米を超えるマンションに住み、2時間もタクシーに乗って無駄なお金を使える経営者にしては、謙虚な発言だ。
ふふっ、と思わず舞香は笑ってしまう。
「お客様。その言葉、いつかの私も言ったことがあります」
「えっ?」
「私は数年前まで、いわゆる港区で生きる女でした。当時は常々『お金がある男が好き』と言っていました。
でも、この言葉には、別の意味があるんです」
「別の意味?」
「はい。本当は『仕事のできる男が好き』って言いたかったんです。
でもそう言うと、色んな男性が寄ってきてしまう。男性の多くは『自分は仕事ができる』と思い込んでいますから。
私は、自分が好きになれそうな男性にだけ、寄ってきてほしかった。ですから虫よけスプレーのつもりで言ってたんです。『お金のある男が好き』と」
返事がないのでバックミラーで確かめると、基樹は惚けたようにポカンと口を開けていた。
乗車の条件などなくても、この人はもともとウソをつかなそうだと、舞香は思った。
「お話を聞くかぎり、その彼女は自分のことを狙ってくる男性に対して、ハードルを用意したり、試したりするタイプなのだと思います。
お客様とルームシェアし、そこへ別の男性をあげているのも、もしかしたらお客様のことを試しているのかもしれません」
「…本当に?」
「お客様がその彼女のことを好きであるのは、とてもよくわかりました。しかし、好意は言葉にしないと相手には伝わりません。
お客様は今、試されている。それなのに、何もしないままでいいのですか?」
基樹は天を仰ぐように顔を上げ、フーッと息を吐いて、それから少し笑った。
「なんていうか、女性って面倒くさいですね」
基樹の口調に嫌な感じはしなかった。だから舞香も軽口で応えた。
「男性も同じですよ。お客様はかなり面倒くさいタイプです」
基樹は声を出して大きく笑った。
笑い声が落ち着いたところで、基樹はスマホを取り出した。
「電話してもよろしいですか?」
「もちろんです」
基樹は電話をかける。相手はおそらくルームシェアしている彼女だろう。
「ああ、俺だけど…。まだ2時間も経ってないけど、今から帰るわ。
やっぱり自分の家に知らない男があがるのは、あまりいい気分じゃないし。うん、だから今一緒にいる男の人にも帰ってもらって。
それから帰ったら話があるから、聞いてもらっていい?…うん、わかった。じゃ、すぐに帰るよ」
基樹はそう言って電話を切る。
「いかがでした?」
「『基樹からそう言われるのを待ってた』って言われました」
「ほら。ね?」
思わず笑うと、基樹も笑う。
「あ~あ、本当に面倒くさい」
「そのとおりです」
舞香は言った。
「男も女も面倒くさい生き物です。だから恋愛は楽しいんです」
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音信不通だった“あの男”が偶然にも舞香のタクシーに!?
「今頃、彼女は他の男と…」同居中の女から“2時間だけ出ていって”と家を追い出され…
2022年11月25日