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「産んでくれてありがとう」浅野拓磨を強くした9人家族の絆…パートで家計支えた母へ送っていた感謝のメール

女性自身

 

’15年7月、「東アジアカップ2015」のタイミングで日本代表メンバーに初めて選出された浅野選手。’16年1月の「リオ五輪アジア予選」の決勝では、強豪・韓国から2ゴールを決めた。

 

しかし’19年1月の「AFCアジアカップ2019」では負傷し、開幕を控えるなか不参加に。その後も成績は芳しくなく、今年3月の「カタールW杯最終予選」にスタメンとして参加した際には、田中マルクス闘莉王(41)がYouTubeチャンネルで「なぜ浅野なのか」と批判していた。

 

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そんな浅野選手のことを一番「信じてくれていた人」とは、家族なのかもしれない。本誌は’16年2月、浅野選手の母・都姉子さんに取材。都姉子さんの語るエピソードからは、浅野選手の並々ならぬ家族愛が伺えた。

 

三重県菰野町で7人きょうだいの3男として育った浅野選手は、小1の時に2人の兄が在籍した地元のサッカー少年団に入団。都姉子さんはこう振り返っている。

 

「勝ちにこだわらずに、技術を磨こうというのがチームの方針。試合で負けてばかりでおもしろくないだろうなと思いましたが、『こんなワザができた、あんなワザもできた』と、兄と競い合って楽しんでいました。大の負けず嫌いでしたが、身長は低く、クラスではいつもいちばん前でした」

 

その後、成長期に差し掛かるとグーンと身長が伸びた。食べ盛りの男兄弟たちを育てるには夫・智之さんの給料だけでは足りず、都姉子さんはスーパーのレジ打ちなどのパートをして食費を稼いだ。

 

 

■年間100万円かかると知り、サッカーを諦めようと……

 

「毎朝6~7合、夕食は7合のゴハンを炊いていたから、10キロのお米が1週間たたずになくなって。食卓はボールを奪い合うグラウンドと一緒でした。から揚げは1.5キロの鶏ももを揚げても競うようにして平らげていたし、ギョーザを120個焼いても、私が食べようと思ったらキレイに消えてました」(都姉子さん)

 

都姉子さんたちの支えもあり、高校では強豪校に入学した浅野選手。しかし遠征試合が多く、部費や交通費などが年間100万円ほどかかることに。そこで“9人家族の事情”を知っていた浅野選手はサッカーを一時諦めようと決めていたという。

 

しかし中学時代のサッカー部顧問・内田洋一先生が説得。都姉子さんら家族の理解もあり、サッカーを続けることに。そして飛躍的な成長を遂げて’13年、高校卒業と同時にJリーグのサンフレッチェ広島に入団した。

 

当時、本誌の取材に「拓はプロ入りしてから毎月10万円を家に入れてくれるようになりました。弟の大学進学費用も助けてくれて。家の軽自動車がボロボロだからと、ミニバンのステップワゴンまで買ってくれました」と明かした都姉子さん。さらに、こう続けている。

 

「なによりもうれしかったのは、拓が20歳になった誕生日に『ただいま二十歳になりました。産んでくれてありがとうございます』とメールを送ってきてくれたこと。ずっと放ったらかしだったのですが、どうしてこんなやさしい子に育ってくれたのか……」

 

プロ入りした当時、会見で「きょうだいが多くて苦しい中で育ててくれた両親に恩返ししたい」と語っていた浅野選手。今回の逆転ゴールも、都姉子さんと智之さんにとって最高の恩返しとなっただろう。

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