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連絡のない息子…心配した母の行動に「申し訳なさに身が縮んだ」

幻冬舎ゴールドライフオンライン

※本記事は、喜平司氏の書籍『嗚呼、人とは⋯ ―せめて志は高く堅く―』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

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学生時代

昭和三三年頃の中学校卒は、金の卵ともてはやされ多くの生徒が集団就職で都会へと飛び立つ中、私は進学校の県立高校へ進学した。私は家庭の状況から商業高校と考えていたので母の勧めに感謝した。

担任の先生からはボーダーラインと言われて恐々としていたが、運よくパスし春うららかな日、教科書を買うべく友と二人で一台の自転車に乗り隣町へいった。解放感もありその町の公園に向かった。

ところが公園の橋のたもとに木刀を片手に腰にチェーンを巻いた異様な三人組が立っている。一〇円くれとゆすられた。現在の貨幣価値でいえばせいぜい一〇〇円。渡せばいいようなものだが当時は自分が自由にできるお金など持っていない。

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ゆすられておめおめと出せるものかと彼も思ったのだろう。「無い」というと山門の裏に連れていかれた。

普通喧嘩はにらみ合いをして殴り合いと相場は決まっていたのだが。相手は喧嘩慣れしていて山門の裏に着くや否や無言でやにわに殴ってきた。ものの見事に目と頰を殴られ目の前が真っ暗になり戦意を失った。

気が付けば友人は果敢に戦ったようだった。その晩は自分の腑甲斐の無さが情けなく悔しくてほとんど一睡もできなかった。翌朝仕返しに行こうと家を出たとき異変に気付いた母に止められた。

止められなければ今の私は無かったかもしれない。

楽しかるべき一年生の学校生活はうつうつとした毎日が続き、友人とは離れて電車は最後尾に乗る暗い毎日を過ごしていた。翌年の梅雨時後部のデッキは雨傘を持つ学生たちで混んでいた。

私の真ん前にいる他高の目つきの悪い男が私を睨む。内心名誉挽回のチャンスが来たと思った。案の定汽車を降りるとその男には子分が迎えに来ていて、二人に両校の間にある神社に連れていかれた。

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