松坂由里香は、パーフェクトな女。
美貌。才能。財力。育ち。すべてを持つ彼女は、だからこそこう考える。
「完璧な人生には、完璧なパートナーが必要である」と。
けれど、彼女が出会う“未来の夫候補”たちは、揃いも揃って何やらちょっとクセが強いようで…?
松坂由里香の奇妙な婚活が、いま、幕を開ける──。
▶前回:「何飲む?」の一言もなく…。食事デートで、男がドリンクのオーダーを勝手に決めた理由
Vol.5 効率的な男
渋谷の高層ビルの上層階。
いつもは味気ない会議室はすべてのパーティションが取り除かれ、広々とした華やかなパーティー会場に姿を変えていた。
「あっ、松坂さん!いつもお世話になっております!」
「あ、編集長。こちらこそいつもありがとうございます」
「これからも頼りにしてますよ!ドリンク足りてますか?ではでは、楽しんでってくださいね!」
「はい、また〜」
ここは、あるeコマース会社のオフィスビル。
由里香はこの社のサービスのひとつであるニュース系ポータルサイトで、フェムテック関連ニュースのコメンテーターを務めているのだ。
各ジャンルのコメンテーターを集めての忘年会では、まるで濁流のように大勢の人々が通り過ぎて行く。
編集長が慌ただしく挨拶を済ませて去っていった後も、由里香は何人もの人々と当たり障りのない会話を繰り返していた。
「はぁ〜、疲れるー。ねえねえ星野くん、婚活パーティーもこんな感じなのかな?1分で挨拶して!とか言われるんでしょ?」
「いや知りませんよ。婚活してるの、俺じゃなくて社長じゃないですか…。ちょっと俺、次のドリンク取ってきますね」
サポートについてきた秘書・星野のつれない態度に対して、由里香は悪態をつきながら、グラスに残っていたシャンパンをあおる。
その時だった。
由里香の背後から、意外な声がかけられる。
「なに、松坂さん婚活中なの?じゃあ俺と結婚しようよ」
「えっ?」
唐突なプロポーズに、思わず口に含んだシャンパンを吹き出しそうになる。
むせかえりながら振り返ると、同じくコメンテーターとして投資/FXジャンルを担当している、投資家・モチダが立っていた。
中肉中背の体格に、なんの変哲もないファストファッション。こだわりのなさそうなシンプルな短髪。歳は確か、由里香と同じ30歳といっただろうか。
平凡なルックスではあるものの、溢れ出る揺るぎない自信のようなものが、一般人とは一線を画したオーラを醸し出している。
「俺も最近、結婚したいんだよね。どう?」
「モチダさん。そんな急に…」
「いいじゃん、電撃婚。松坂さん結構そういうタイプでしょ」
「まあ確かに、突っ走るタイプではありますけど」
モチダとこうしてリアルで顔を突き合わせて話すのは、2回目だ。まさか、仕事そのままの勢いで突然「結婚しよう」と言われるなんて思ってもみなかった。
― いや、でも…。こういう強引なタイプ、確かに嫌いじゃないんだよね。
内心そうは思いつつも、由里香はかろうじて答える。
「でもこういうことは、やっぱり何回かデートしてみたりしないと」
けれどモチダは、全く臆することなく、さらに前のめりな行動に出た。
「OK!じゃあ、これ抜け出して今から早速デート行こうよ。もう大体の人に挨拶し終わったし、いいでしょ。俺、効率悪いのキライなんだよね」
そう言ってモチダは、まるでお姫様をエスコートするナイトのように、由里香に向かってうやうやしく手のひらを差し出す。
「ね?行こ」
「あ…。は、はい!」
モチダの強引な態度に、不覚にもわずかにときめいてしまった由里香は、おずおずと右手を重ね合わせる。
由里香の手を取るなり、モチダはぐんぐんと歩調を速めて会場出口へと進んでいく。
「あっ、社長!どこ行くんですか?最後にコメンテーター全員で写真撮るって言ってましたけど!?」
すぐ背後で、グラスを2つ持ってきた星野が、戸惑いの声をあげるのが聞こえたけれど…。
由里香は「うまく言っておいて!」とだけ言い残し、濁流に押し流されるように、モチダと一緒に会場の外へと駆け出して行ったのだった。
◆
自分でも信じられないような突拍子のなさで会場を抜け出してきてしまったものの、わずかにあった罪悪感はあっという間に吹き飛んでしまった。
「それでさぁ、その時イーロン・マスクが言ったのよ!だから俺はさ、『それはコスパが悪いっすよ』って…」
「えー!それ本当ですか!?」
飛び乗ったタクシーの車中から、たどり着いたラグジュアリーホテルの中華料理店に入るまで、モチダの話題は終始刺激的。
好奇心旺盛な由里香を幾度も驚かせ、笑わせ、惹きつけ続けた。
「服なんて着られればいいし」とルックスに無頓着なところも、前回の婚活で男ウケや女ウケの概念に疲れ果てていた今の由里香には、落ち着くポイントですらある。
そしてモチダは、レストランの席につくなり、堂々とした態度で由里香を正面から誘うのだった。
「なんでこの店に来たかっていうとさ。俺、今このホテルに住んでるんだよね。自分で家事やるのとか、家買うのとか効率悪すぎて。
だからさ、食事終わったら部屋に来なよ」
「えー、どうしよう〜」
笑いながら一応ためらってみるものの、由里香だって婚活は効率よく進めたいのが本音だ。もしかしたら、モチダとは本質が似ているのかもしれない。
― 結婚にはタイミングが大事かもと思って、思い切って付いてきたけど…。本当に、交際0日婚の予感?それって結構私らしかったりするのかも!?
会話を重ね続ける中で、由里香は想いを深めていく。
けれど、そんな予感に、徐々に暗雲が立ち込めたのは…ディナーが進み始めてすぐのことだった。
由里香とモチダが訪れたレストランは、肉汁がたっぷりの餃子が名物として知られている。しかし、なぜかモチダが頼むのは黒酢の酢豚や八宝菜、エビチリなどの炒め物ばかり。
― 一緒に選んだけど、冷静になってみると似たようなメニューだらけ…。
そう思った由里香は、会話の合間に何気なくモチダにお願いしてみる。
「モチダさん、中華そばとかも頼みません?それからここ、餃子もおいしいから食べたいな〜!」
しかし、由里香のおねだりに対して、モチダは半笑いの面持ちで、予想外の一言を放ったのだ。
「いやいやいや…松坂さん、知らないの?餃子も麺も原価率めちゃくちゃ低いの。コスパ最悪だよ?」
「は…え?原価…率?」
楽しく食事をしていた由里香は、“原価率”というあまりに即物的なワードを突きつけられ、思わずフリーズしてしまう。
「つまりさ、中華料理の原価はそもそも他の料理よりも低めの30%が目安なんだけど、まあ具材の多い料理とか、海鮮系はちょっとマシなワケ。でも、ほとんどが小麦粉の餃子とか麺系はさ…あと回転率も…」
すっかり話題のテーマが「外食のコスパ」になってしまった後は、由里香はもう、何を食べても砂を噛むような味しか感じられなかった。
急激に熱が冷め冷静さを取り戻した由里香は、あらためてモチダを観察してみる。
すると、コスパのいいメニューに執着しているばかりでなく、ウエイターのきめ細かなサービスや伺いに対して、終始、透明人間を相手にするように無視し続けていた。
その傍若無人な振る舞いに、由里香は急激に穴に入りたいような恥ずかしさを覚える。
食事を終えて半ば放心しながら店を去るその時には、いたたまれなさのあまり、テーブルに付いていてくれたウエイターに平身低頭せずにはいられなかった。
「あの…いろいろすみませんでした。お料理みんな美味しかったです。ごちそうさまでした」
店員に対する由里香の丁寧な物腰を横で見るなり、モチダはプーッと噴き出して言い放った。
「いや、松坂さん。客が店に謝るとか、コスパ悪いって。食べた後に感じ良くしても、別にサービスに反映されるわけじゃないじゃん」
― これは…ダメだぁ。
さっきまでのワクワクするような気持ちから一転、氷点下まで冷めきった由里香は、めまいすら覚えてゆっくりと目をつぶる。
「じゃ、部屋行こっか」
そう言って由里香の腰にそっと添えられた手を振り払うと、ポカンとした表情を浮かべるモチダに向き合った。
「え、行かないの?時間もったいないから早く決めてくれる?」
モチダの言葉には、にわかにイラつきが滲んでいる。
けれど由里香は、先ほどモチダが浮かべたとの同じ、鼻で笑うような表情で答えるのだった。
「いや、全然行かないです。あなたと過ごす時間が、一番コスパ悪そうなんで…」
◆
「星野くん、さっきは本っっっ当―――にごめんなさい!!」
モチダと解散するなり由里香が向かったのは、もちろん、星野が待つ自社のオフィスだ。
フロアに足を踏み入れるなり、星野のムスっとした抗議の視線が由里香を射抜く。
「パーティー中抜けの尻拭いをさせてしまって、本当にすみません!」
先ほど中華料理店の店員にしたお辞儀よりも何倍も頭を低く下げるが、星野の機嫌は一向に直りそうにない。
「社長の自覚あるんですか」
「ほんとごめんなさい」
「マジであの後、編集長に説明するの大変だったんですよ」
「はい、すみません」
「公私混同しすぎです」
「申し訳ないです」
「やらかす前によく考えてください」
「すみません」
ひたすらペコペコと謝り続ける由里香の頭には、謝罪のコスパなど考えている余地などゼロだ。
ひとしきり謝り倒したこの後。星野に『えびすの安兵衛』の餃子を満足いくまでご馳走する羽目になるのだった。
▶前回:「何飲む?」の一言もなく…。食事デートで、男がドリンクのオーダーを勝手に決めた理由
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2022年11月21日