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「30歳になったら結婚しよう」かつて約束していた女が、急に目の前に現れて…

東京カレンダー

29歳―。

それは、節目の30歳を目前に控え、誰もが焦りや葛藤を抱く年齢だ。

仕事や恋愛、結婚など、決断しなければならない場面が増えるにもかかわらず、考えれば考えるほど正解がわからなくなる。

白黒つけられず、グレーの中を彷徨っている彼らが、覚悟を決めて1歩を踏み出すとき、一体何が起こるのか…。



29歳の約束【前編】


「おお~、前野じゃん。久しぶりだね!元気だった?」

前野智也が人のあいだを縫うようにして歩いていると、前からきた女性が声をかけてきた。

「お、おう。久しぶり…」

それとなく調子を合わせるが、すぐに相手の名前が出てこない。

智也は、中学時代の同窓会に参加するため、目黒にあるホテルに来ていた。立食パーティー形式で、会場にはかつての同級生100人以上が集まっている。

これまでも開催されていた同窓会だが、智也は初めて参加する。

「ええっと…誰だっけ?」

智也が正直に尋ねると、女性がおどけてよろける振りをする。

「恵美だよ。藤原恵美!」

名前を聞いて、すぐに当時の姿を思い出した。

14年前はもっと不愛想でキツい印象があったが、ずいぶんと物腰が柔らかくなったように感じる。

「前野も大人になったね~。カッコ良くなったじゃん」

恵美が智也を見上げながらしみじみと言う。

中学時代、智也は今よりだいぶ背が低かった。しかも、丸刈りで、精神的にも幼かった。恵美にもよくイタズラを仕掛けては怒られていた。

「藤原も…キレイになったな」

「でしょ~?」

恵美はお世辞だと捉えているようだが、実際、見違えるようにキレイになっていた。

体にフィットした黒のワンピースはスタイリッシュな印象のなかに妖艶さを感じさせ、タイトなシルエットに思わず目が向く。

― 案外、悪くないかもしれない…。

実は、智也には別の予定が入っていて、同窓会に来るつもりはなかったのだ。

予定というのは、女性との食事会であり、ドタキャンを食らったためなんとんなく足が向いただけだった。


同窓会での再会により、恋愛に発展するケースが多いという話は、よく耳にする。

といっても、智也はそんな通説にさほど興味を抱かなかった。

なぜなら、恋愛対象を、年下としていたからだ。

29歳の自分に対して、付き合うなら20代半ばがベストと考えているため、同じ歳の集まる同窓会には魅力を感じなかったのだ。

だが、恵美を目の前にして、その意識が変わりつつある…。

「これ美味しい!前野も食べたほうがいいよ。ほら」

隣で鴨のコンフィを口に運ぶ恵美に、不思議な感情が芽生える。

中学時代からの著しい成長を感じ、感慨深さが込み上げ、恋心とでも捉えてしまいそうな淡い思いを抱かせるのだ。

「ねえ、前野」

恵美の呼びかけに、「んん?」と彼女に視線を移す。

「前野ってさ、結婚してるの?」

胸の内を見透かされた気分になり、智也はドキッとさせられる。

「いや、してないけど…。なんで?」

「あの約束。覚えてる?」

― 約束…?俺、なんか言ったかな…。

「忘れちゃったの?ほら、『30歳になるまで独身だったら、結婚しよう』って言ってたじゃん」

そう言われて、智也はハッとする。

― 確かに言った覚えがある!

当時、映画かドラマかで使われていたセリフを、そのまま伝えたのだ。

中学のころの智也は、容姿も言動も子どもっぽかったため女子たちに異性を感じさせず、親しくなりやすかった。

ところが、恋愛となるとからっきし。告白をしてもまるで相手にされず、「友だちとしか見られない」と定番の文句を幾度となく聞かされた。

そんななか、苦し紛れに口から出たセリフが、「30歳になるまで独身だったら、結婚しようよ」だ。

恵美が、じっと見つめたまま視線を外さない。

「あの約束、どうする…?」

― どうする…って言われても…。

智也は、この場面で言うべきもっとも相応しい言葉を探し、頭のなかで思いめぐらせていた。

「…なんてね」

恵美が左手をあげ、手の甲を見せるように智也の顔の前にかざす。



「私、先月結婚しました~。だから今は藤原じゃなくて、木嶋恵美で~す」

薬指にはめられた指輪が、キラリと光る。

「なんだよ!」

智也はそう苛立たしげに言ったが、どこかホッとしたような、ちょっと悔しいような後味の悪さが残る。

― まあ、そりゃあ29歳にもなれば結婚もするよな…。

すると、背後から声をかけられる。

「なになに。前野、フラれちゃったの?」

同じくクラスメイトだった羽田美紀だ。

「違ぇわ!こいつが適当なこと言ってきたんだよ」

「なによ、あんただって昔は適当なこと言いまくってたじゃん」

「何が…?」

「私も言われたんだよ。『30歳になるまで独身だったら、結婚しようよ』って」

美紀に指摘され、当時の記憶が鮮明によみがえった。

― そうだった…。俺、そのセリフ、よく使ってたんだ…。



中学生の智也は、自分があまりにモテないことに悲嘆しきっていた。

このままでは、彼女ができないうえに一生独身となり、孤独死するかもしれないと、本気で悩んでいた。思春期特有の強い思い込みに、思考が完全に支配されていた。

そこで、そのセリフに巡り合った。

「30歳になるまで独身だったら、結婚しようよ」

そこまで効力もあるとは思わなかったが、それだけに拒まれることもなかった。

だが逆に、29歳となった智也としては、今こそが男盛りであり、まだまだ結婚するつもりはなく、独身を満喫したいという思いが強い。

だから、過去に蒔いた種が、今花開かれても困るというのが本音だ。

「あ、ああっ!そんなこと羽田にも言ってたか~。バカだよな、俺。はははっ!」

智也はかつての発言が冗談であることを強調するように、大袈裟に高笑いした。


学年全体での同窓会が終了し、クラスごとに分かれ、12~13人ほどで2次会へと移った。

場所は、目黒にある『居酒屋 友』。



座敷に座り、思い思いに会話を交わす。過去の出来事を語り合っては記憶をすり合わせ、団らんの時を過ごす。

そこで、智也はある人物の存在に気づく。

店の隅の目立たない場所に座っている女性が、さっきから智也のいるテーブルのほうにチラチラと視線を向けていたのだ。

― 誰だっけなぁ…。

長い黒髪がやや乱れ、猫背気味で俯き加減に一点をボーッと見つめている様子には、悲愴感が漂っている。

「ねえ、藤原。あの、奥に座っている暗い感じの子って…誰だっけ?」

恵美に尋ねてみると、目を丸くして言う。

「えっ!忘れちゃったの!? アスカだよ!」

「アスカ…って、ええっ!三波さん!?」

三波飛鳥。

クラス委員長を務め、成績優秀。おまけにめちゃめちゃ美人。智也も憧れを抱いていたが、身分不相応に感じてしまい、話しかけるのも気が引ける存在だった。



― あの美しかった三波さんが…。一体何があったんだ…。

「あ、私、ちょっとトイレ行ってくるね」

恵美がそう言って席を立つ。

― 三波さん、頭が良かったから、いろいろ悩み過ぎちゃったのかもしれないな…。

10代のころは誰しも、高い壁にぶつかるもの。正面からぶち当たれば、大きなダメージを受ける。だからこそ、もがきながらも上手く回避する術を身に付けていく。

飛鳥は真面目がゆえにそれができず、一つひとつの困難をまともに捉えすぎたのかもしれない、と智也は思う。

智也は、時の流れの残酷さを憂う。

哀れにすら思ってしまいそうな思考を智也が振り払ったところで、誰かが隣の席に座った。

腰をおろした人物を見て狼狽える。

「お久しぶり」

三波飛鳥だった。

「あ、う、うん。久しぶり…だね。三波さん」

「前野君、ほんと大人っぽくなったね。見違えたよ」

「そ、そうかな?三波さんも…元気だったかな?」

「うん、元気だよ」

「そうか。なら良かった」

― あまり元気そうには見えないんだけど…。

「前野君て、今は仕事何しているの?」

「俺は、今は商社に勤めてて…」

会社名を伝えると、飛鳥が「ええ、すごい。大手だね~」と感嘆の声をあげる。

会話は続くものの、内容もいまいち噛み合わず、智也は居心地の悪さを感じてしまう。

「あっ!このシュウマイ美味そう!うわ~」

智也は、助けを求めるように、テーブルの上の料理に箸を伸ばす。

すると、飛鳥が一瞬フッと押し黙る。

「ほら、これ美味しいよ。三波さんも食べな食べな…」

沈黙を埋めようと料理を勧めると、その言葉を遮るように飛鳥が口を開いた。

「ところで、前野君。覚えてないかもしれないけど…」

智也の脳裏に、嫌な予感がよぎる。

飛鳥が何を言おうとしているのか、同窓会に参加してから今までの流れで、なんとなく察しがついた。

― 嘘だろ…。お願いだから、やめて…。

切なる願いも虚しく、飛鳥が言った。

「どうかな?私に、『30歳になるまで独身だったら、結婚しよう』って言ったの…」

智也の手から、持っていた箸が滑り落ちた。


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▶Next:11月27日 日曜更新予定
30歳まであと2ヶ月。約束を回避するために智也は奔走する…


 
   

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