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アメフトに転向した石川雄洋「もう一度、真剣勝負がしたかった。中途半端な気持ちでできないことは覚悟している」/パンチ佐藤の漢の背中!

週刊ベースボールONLINE

野球以外の仕事で頑張っている元プロ野球選手をパンチ佐藤さんが訪ねる好評連載、今回のゲストは一昨年までベイスターズで現役だった石川雄洋さんです。昨年からアメリカンフットボールに転向。白球とグラブを楕円形のボールに持ち替え、「ノジマ相模原ライズ」の一員としてフィールドを駆け回っています。
※『ベースボールマガジン』2022年6月号より転載

初めてのCS、東京Dのスタンドの青が思い出に



パンチ氏[左]、石川氏

 ノジマ相模原ライズのクラブハウス入り口。対談の約束時間に訪れると、スポーツ刈りにマスクを付けた長身の男性が待ち構えていてくれた。石川さんといえば長髪のイメージがあったため、一瞬、逡巡したパンチさん。それが、石川さん本人だった。

 昨年6月からアメリカンフットボールのトレーニングを続け、体重は5キロ増えたという。コンタクトスポーツのアメフト向けに肉体改造を続け、体脂肪が減り、筋肉が増えた結果。思えば横浜高からドラフト6位で入団した頃の石川さんは、身長183センチ、73キロという、野手としては細身の体だった。

パンチ 一軍での初めての打席は覚えている?

石川 2年目の終盤、神宮のヤクルト戦(06年10月12日)で2打席もらいました。あのときはチームがずっと最下位だったので、若手に経験させてくれたんだと思います。2打席のうち1打席が空振り三振だったことは覚えています。

パンチ 誰の、どんな球だったの? 一軍のピッチャーの球のキレとかスピードとか、どんなふうに感じた?

石川 それが、ピッチャーは覚えていないんです(※編集部注:坂元弥太郎)。真っすぐはそれほど速いと思わなかったし、大きなカーブもこれなら打てると思いました。ところが最後の1球はポーンッと浮いてきて、“あ、ストライクだな”と思って振ったら、空振り。あとで動画を見直したら、低めの球でしたね。

パンチ そこで何が足りない、何を練習しなければ一軍には定着できないと思った?

石川 高校時代は結構きれいに左中間へ打っていたんですが、プロに入ってピッチャーの速球に負けないようにと強く振るようになって、体が開いてしまったんです。逆方向に全く打てなくなって、「これでは率が残せないな」と思い、逆方向にしっかり打てるよう練習しました。

パンチ それで3年目、開幕一軍に入ったわけだ。当時の横浜の内野は、誰がいて、どうやって食い込んでいこうと考えた?

石川 石井琢朗さんがショート、村田修一さんがサード、種田仁さんと仁志敏久さんがセカンドにいました。皆さん守備もバッティングも実績は残していましたけれども、ある程度の年齢になっていたので、僕は足を使って盗塁、走塁面でアピールしようと思いました。実際チーム内にもあまり足を使える選手がいなかったので、そこはよかったと思っています。


2005年、横浜高からドラフト6巡目で横浜に入団した

パンチ 一軍の開幕は、やっぱり全然違ったでしょう。プロ初ヒットはどこで出たの?

石川 開幕3戦目、横浜での巨人戦で代打に出たんです。ピッチャーは高橋尚成さん。横高の先輩の小池正晃さんがベンチにいて、「代打で行くなら初球、スライダーだな」と言うので、「じゃあスライダーを狙っていきます」と打席に立ったら、本当に初球スライダーが来ました。それがピッチャー強襲の内野安打になりました。

パンチ 開幕カードで、あのジャイアンツのユニフォームの相手に……。シビれるねえ!

石川 初ヒットとか初ホームランとか、やっぱり“有名な選手”といったらなんですが、そういう相手から打ちたいじゃないですか。尚成さんはメジャーでも活躍したし、のちに(横浜で)チームメートにもなって。尚成さんから打てて、うれしかったです。

パンチ 石川君は年齢的にも、石井琢朗君の後継者という立ち位置だったと聞いているけど、実際、石井君を目標にしていた?

石川 僕が小学校のころ、石井さんが僕の地元(静岡)で自主トレをしていて、一緒に写真を撮ってもらったことがあったんです。素晴らしい選手で、憧れの人ではありましたが、若いころは結果を出さなければと必死で、「石井さんのあとを守るんだ」とか、そこまでは考えられませんでした。

パンチ DeNAになって、チームが変わっていく、だんだん強くなっていく実感はあった?

石川 最下位のときから、少しずつ強くなってCS進出、日本シリーズ出場というところまで全部経験していますからね。弱くてお客さんが入らないときは、とてもキツかったし、もっと勝ちたいなと思っていました。でも、こういうことをしていたら勝てないんだなとか、逆に連敗が続いてもこういうところをしっかりすれば勝てるんだなということを、チームみんなで学んでいったので、そういう意味ではいい経験だったと思います。

パンチ プロでの一番の思い出は何?

石川 CSが始まって以降、12球団で唯一、一度も進出していないのが横浜だったんです。16年、初めて出た巨人とのCSファーストステージで1勝1敗になって、勝ったほうがファイナル進出という第3戦。いつもならビジターの応援がものすごく少ない東京ドームが、巨人のオレンジと横浜の青と、半々ぐらいに埋まっていた。とても異様な雰囲気で、その試合に勝ってファイナルに行けたことが、一番の思い出になりました。

ここで切れたら、すべてがダメになる



2019年8月29日のヤクルト戦[横浜]が結果的に最後のヒットとなった。翌年は背番号7から42に変更したが、一軍出場のないまま引退

パンチ どういう経緯で引退することになったの?

石川 引退の2年前、18年のシーズンは開幕から二軍だったんです。一軍に呼ばれたときに結果を残さなければダメだなと思って、夏場に呼ばれてからは最後まで一軍でプレーできました。翌年もやはり、二軍スタート。チームが10連敗していたときに呼ばれて、その日に3安打、決勝2ランを打って連敗を止めたので、自分でもまだ行けるなと思ったんです。でも結局最後の年(20年)は一度も一軍に上がれず、10月、球団社長に呼ばれて戦力外通告を受けました。そこで、他球団で野球を続けるか続けないか、「続けないんだったら、シーズンの最後の試合に引退試合をする」と話をされて、「1週間、考える時間をください」と答えたんです。

パンチ 戦力外通告を受けたときは、「まさか」という感じ?

石川 「うわあ、マジかよ」じゃなくて、「やっぱり来たな」という感じで、すんなり受け入れました。でも、現役は続けたかったので、球団にも知り合いにもいろいろ声を掛けてもらったんですが、結局誘いはありませんでした。

パンチ そこで納得できた?

石川 自分の実力不足ということですね。僕は体が強かったし、完璧な状態じゃなくても人よりは痛みに強かった。自分が外れて誰かがチャンスをつかんだら、すぐクビになるかもしれないと思っていたので、結構我慢してでもやっていたんです。でも18年と19年は肩を壊したり、肉離れしたり、ヒジを手術したり、といろいろあって、20年は「今年が勝負の年になるだろうな」と思っていました。ケガをしたら一発アウトだからと、練習量は落とさずに体のケアを入念にして、いつ呼ばれてもいいように調整していたにもかかわらず、呼ばれなかった。メンタル的にはとてもキツかったけれども、とても勉強になった1年でした。

パンチ よく切れずに頑張ったね。さすがチームのキャプテンまで務めた男だね。

石川 僕はもうベテランになっていたから、練習が終わってすぐあがっても、多少やらなくても誰にも何も言われない。だけど、「一軍に上がれなくてクサってた」と思われるのはイヤだったし、若い選手にそんな姿を見せてはいけないと思って、彼らと同じ練習を頑張りました。僕は横浜というチームがすごく好きだったし、16年間お世話になったチーム。自分が最後におかしな終わり方をしたら、自分がそこまでやってきたことも、チームに残すことも同じようにダメなものになってしまう。それで、ちょっと無理をしたところはありました。

パンチ 俺はそこで切れて、いいやってフテ腐れちゃったんだ。仰木彬監督がきれいに引退させてくれたから、あまり表に出なかったけれども。

石川 いや、僕も切れそうになったんですよ。でも今楽天でコーチをしている後藤武敏さんとかヤクルトにいる坂口智隆さんが、「タケ、絶対見てくれてる人がいるから、なんとか気持ちを切らさずに頑張れ」と言ってくださって。本当にありがたかったです。

パンチ そうそう。最後に切れちゃうと、少年野球から中学高校、プロ16年とやってきたことが、台無しになっちゃうからね。

 石川さんとアメリカンフットボールの出合いは、22、23歳のころ。単独アメリカ自主トレを敢行した石川さんが通ったトレーニング施設に、アメフト選手の一団がいた。

 プロ野球界の自主トレといえば、和気あいあいとした雰囲気の中、行うのが一般的。ところがアメフトの選手たちは常にストイックで、お互いをもり立てながら厳しい練習を続けていたのに驚かされた。

 ちょうど1月は、アメフト最高峰のNFLシーズン真っ只中。試合を見てますますアメフトに惹かれた石川さんは、以降、欠かさずアメフトの試合をチェックするようになった。

全くの未経験者からアメフトトップリーグに



ノジマ相模原ライズの石川雄洋選手[Photo by Kohei SAEKI]

パンチ だけど好きで見るのとプレーするのとでは、全く違うじゃない。どうしてプレーする側に回ろうと思ったの?

石川 自分でもまだまだ体は動くと思っていましたし、軽い気持ちではなく、もう一度真剣勝負がしたかったんです。僕の知り合いと、ここの石井光暢GMが知り合いで、その縁で声を掛けていただきました。ライズはアメフトのXリーグのトップリーグに所属しているチーム。僕のように未経験からいきなりそんな上のリーグには、本来なら入れない場所です。アメフトをずっとやってきた人たちは、たぶん「なめんなよ」「調子に乗るなよ」と思ったでしょう。でも僕はアメフトが好きだし、アメフトに対するリスペクトはあるので、中途半端な気持ちでできるスポーツでないことは覚悟しています。

パンチ 「なめんなよ」っていうのは、もちろんあるだろうね。ただ半分は、「野球選手の身体能力ってどのくらいなんだろう、見てみたいな」という気持ちもあると思うんだよね。それでどうだった? 「あれ、結構やれるじゃん」って感じだったのか、「やっぱり野球とは違うな」という感じだったのか。

石川 正直、それが今も分からないんですよ。アメフト選手の中には野球から転向した人も結構多いらしいし、僕もプロのアスリートではありましたけれども、競技特性が全く違うわけですし、すぐ同じレベルに行けるかといったら、そうは思わない。そんな甘い世界ではないけれども、頑張ればなんとか……。

パンチ 食らいついていけるような手応えはあるんだ。

石川 まだそんなに試合も出たことがないんですけれどもね。

パンチ アメフトはオフェンス(攻撃)とディフェンス(守備)に分かれているけど、石川君はどっちのポジションなの?

石川 僕はオフェンスの「ワイドレシーバー」といって、ラインの一番端にセットして、パスを受け取るポジションです。

パンチ あの大きなボールを捕る感覚はどうなの?

石川 ボールを捕る感覚はある程度、持っていると思うんです。特に長い距離のパスは、だいたい落下地点も分かります。近い距離で速いパスが来るほうが難しいですね。ただ野球はコンタクトスポーツではないので、根本的な人のかわし方は一から覚えなければなりません。相手とぶつかったり、ボールを捕った瞬間にぶつかってこられたり、相手が邪魔してくるところをかわしながら、ルートを走らなければいけないので。あとは100のスピードで走っていたのを、0の極限までスピードを落としていきなり止まったり曲がったり。そこは今まで使ったことのない筋肉を使わなければいけなくて、それがキツかったです。

パンチ そのポジションは、自分で希望を出したの? それとも監督とかコーチが「君は攻めるほうがいいよ」と?

石川 特に希望は出していないですね。でもレシーバーはやりたかったポジションでした。オフェンスは決まった型の中で動けばいいポジション。一方ディフェンスは、オフェンスの動きを見ながら守らなければいけないので、応用力が試される。やはりアメフトの経験が深く、フットボールIQが必要になるんですね。僕は上背も足もあるし、パスキャッチもできるので、ワイドレシーバーが適任なのではないかとコーチにも言われました。

基礎練習でボールを捕れるだけで楽しい!


パンチ ここまでで思い出のワンプレーとか、「これがたまらない」というプレーはある?

石川 去年の6月からアメフトを始めて、まだ1年。土日の練習日は、今も基礎練習から繰り返しています。ボールを捕る感覚を体にしみ込ませるには他の選手より圧倒的に経験が足りないですからね。だから練習でボールを捕っているのが、メッチャ楽しいです。

パンチ 練習は土日だけなんだ。

石川 クラブチームなので、みんな月曜から金曜は各自仕事をして、土日に集まって練習をしているんです。僕は野球の解説など入っている日もありますが、月曜から金曜までは結構自由な時間があるので、週2、3日はウエートをしたり、公園でブレーク(走り出しの3、4歩目で足踏みをしてブレーキをかけ、方向転換する)の練習をしたりしています。

パンチ 僕はてっきり、みんな実業団なのかと思っていたよ。

石川 全20チームのうち、実業団チームも2つほどあります。でもそれ以外は、全部クラブチームです。朝から晩まで野球だけできるプロ野球選手時代は恵まれていたなとつくづく感じました。

パンチ 1年のスケジュールとしてはどうなっているの?

石川 基本は秋、9月からが本番です。通常は春も東日本のチームだけでトーナメントをするんですが、コロナ禍で、今は練習試合だけになっています。

パンチ 石川君も去年、その本番の試合にも出たんだよね?

石川 7試合中、4試合に帯同しました。その試合(21年9月4日、富士通戦)で、初めてパスキャッチを記録しました。野球でいうなら、小学校で初めて大会に出て、ヒットの「H」ランプが付いたようなもの。そのときは、とても不思議な感じがしましたね。

パンチ ところで背番号「80」って、どこから来たの?

石川 僕、横浜で最後に付けていたのが「42」だったんで、「42番は付けられますか?」と聞いたら、レシーバーの番号じゃないと言われて(笑)。1ケタから10番、20番台と80番台が歴史のある番号なんだそうです。

パンチ 今後の目標はなんですか?

石川 まずは試合に出てタッチダウン(得点方法の一つで、相手のエンドゾーンに走ってボールを持ち込んだり、エンドゾーン内でパスを受け取ったりすることで得られる)を取ることです。

パンチ ホームランとはまた違うんだろうねえ。これから1年でも長くプレーして、活躍してね。そうしたら、またプロ野球界を引退して「アメフトに挑戦したい」という選手が出てくるだろうし、そのパイプ役にもなれるだろうから。

石川 僕も何かしら恩返しがしたいんです。プロ野球選手になれなかった選手でも、野球をやっている子は割と身体能力が高いので、「大学からアメフトをやってみよう」という選択肢が増えればいいなと思います。そのとき、「石川もやっているし、僕もやってみようかな」という見本になれればいいですね。アメフト界の発展に、少しでも貢献できればうれしいです。

パンチの取材後記



2021年6月5日の試合前、引退セレモニーにて

 今回の石川君との対談で、僕が一番心に残ったのは、現役終盤3年間の話。若手への切り替えなどもあって、なかなか一軍に上がれなかったけれども、二軍で切れずにグッと踏ん張った。僕は同じような状況に立たされたとき、切れていい加減になってしまった。仰木監督がいなかったら、第二の人生・芸能界ですんなりスタートできたか分かりません。

「辛抱」は世界の盗塁王・福本豊さん(元阪急)の好きな言葉なんだけど、本当に大切ですよね。最後の最後に切れたら、そこまでの人生、すべて台無しになってしまうんだなと改めて思った、今回の対談でした。

 Xリーグは将来的に、プロリーグを目指しているそうです。そのためにはまず、アメフトが日本でメジャースポーツにならなくてはなりません。そこは話題性のある石川君が一肌脱げるよう、今まで以上に頑張ってほしいですね。競技が行われる富士通スタジアム川崎は、わが家のおひざ元。これを機会に、応援に行ってみようと思います。

●石川雄洋(いしかわ・たけひろ)
1986年7月10日生まれ。静岡県出身。横浜高からドラフト6巡目で2005年に横浜入団。09年に遊撃のレギュラーを獲得し、10年には153安打(打率.294)。12年にはDeNAの初代キャプテンに就任した。21年3月にプロ野球からの引退を表明。通算成績は1169試合、1003安打(打率.256)、23本塁打、224打点。21年から社会人フットボールリーグXリーグのノジマ相模原ライズに加入した。

●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。

構成=前田恵
 
   

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