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「1点ぐらい取られたっていいじゃないですか」中尾孝義とのトレードで巨人へ移籍した“デーブ”【プロ野球はみだし録】

週刊ベースボールONLINE

沈鬱ムードが一変、不敗神話に



トレードで巨人へ移籍した大久保博元

 中日で1982年のリーグ優勝に大きく貢献して、セ・リーグの捕手で初めてMVPに輝いた中尾孝義。当時の捕手では珍しく俊敏なタイプで、星野仙一監督の就任で打撃を生かすべく外野に回っていたが、88年オフに巨人へ。正捕手の山倉和博が故障に苦しんでいたこともあり、ふたたび捕手としての輝きを取り戻した。一方の巨人は、89年からリーグ連覇も、91年は広島に王座を奪われ、迎えた92年は序盤から低迷。最下位に沈んで、チームには暗い雰囲気が漂っていた。

 91年オフも、巨人は無策だったわけではない。村田真一の成長はあったが、すでに中尾もベテラン。捕手の高田誠との交換で、84年の新人王でもある捕手の藤田浩雅をオリックスからトレードで獲得している。だが、高田は中嶋聡との併用で日本一イヤーの96年にゴールデン・グラブを受賞するなど活躍したが、藤田は失速。5月に入って、中尾とのトレードで西武の二軍でくすぶっていた大久保博元を獲得した。これが巨人にとっても大久保にとっても吉、いや大吉となる。

 伊東勤という不動の司令塔が君臨していた黄金時代の西武。打力もあった大久保も、二軍の四番打者としてシーズンを過ごすことを余儀なくされていた。それが、巨人への移籍で早々に一軍のマスクをかぶると、6月には正捕手の座を確保する。打力も生きた。本塁打を放てば大きくバンザイ。守っても飛球を巨体を揺らしながら全力で追いかけ、本塁を突いてくる走者は巨大な尻でブロックするなど、“デーブ”というニックネームにピッタリの豪快で、どこかユーモラスなプレーで盛り上げていく。

「1点ぐらい取られたって別にいいじゃないですか、というデーブの言葉には本当に助けられた」と語ったのはエースの斎藤雅樹。いつしか大久保に本塁打が出ると負けないという不敗神話も生まれ、序盤の巨人を覆っていた沈鬱ムードは完全に吹き飛んだ。最終的に優勝はならなかったが、巨人は覇者のヤクルトに2ゲーム差、阪神と並ぶ2位タイ。一方の中尾も出場試合は減ったが西武で捕手だけでなく外野手、指名打者、代打の役割を担い、日本シリーズにも出場している。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
 
   

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