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【小説】どうしても花街が見てみたい…中学生が企てた「作戦」とは

幻冬舎ゴールドライフオンライン

第二次世界大戦中の上海、戦後の日本。意図せずして諜報員として戦争に関わる青年と、それを取り巻く個性的な仲間たちの人生を躍動的に描いた長編歴史小説。花街で育った賢治は、歳の割にませた少年だった。昭和11年、明治大学の予科に進学した賢治は、広告研究会に所属し、華やかな時代の流れに乗り、広告の研究に情熱を燃やす。卒業後、サークルの機関誌をきっかけに就職した会社は外国向け宣伝誌の制作会社だったが、ある日上海への転勤を命じられる。当時の上海は、“洗練と猥雑”が同居した、まさに“混沌”とした街だった。第二次世界大戦の戦火が激しくなる中、ダンスホールや、バーで出会う人々との交流を通して、「魔都」と称される上海の裏側に、賢治は意図せずして足を踏み入れていく――。※本記事は、中丸眞治氏の小説『上海輪舞曲』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集したものです。

第一章

秋の日は短い。夕暮れどきが迫っていた。カラスの群れがカーカー泣きながら南の空に飛んでいく頃、甲中の制服制帽の五匹のカラスはまだ大門手前の穴切通りにたむろしていた。賢治にとって予定外だったことは、この遊郭街が周囲の田畑の中に画然とした「島」になっていることであった。

もともとは穴切田圃といわれていた土地に、市内北部の増山町にあった遊郭二十軒ほどが火事のために全焼し、明治四十年に計画的に移転してできた街だった。だから、「街」とはいっても自然発生的に成立したものではないため、八百屋も魚屋もその他のしもた屋もない。二十軒ほどの遊郭に二百人以上の娼妓が住んでいるだけだ。

従って、この大門を潜ることは必然的にその目的は限られてしまう。いくら興味本位とはいえ、十四、五歳の中学生が入っていく度胸はない。この日、五羽のカラスはこの街区の裏を流れる相川の土手の上から見物しただけで引き揚げた。

ところが、これには後日談がある。酒屋の金丸と製糸屋の栄輔が諦め切れずに、大人数だと目立つからと二人だけで街の中を歩いたという。いや、正確には「走った」のだ。

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二人は、例年十月に行われる信濃大町までの強遠足、甲中では伝統行事となっていて、後には強行遠足と名付けられる行軍の練習という名目を自らに言い聞かせて、脚絆を巻いた教練の格好で、学校から走って遊郭内を二周してきたと自慢した。

「まず大門を通って正面にはそのまま直線の道がある。左側は佐埜楼、右が何々、棟割りの二階建てが六棟、一番でかくて繁盛していそうなのが甲子楼」と略図で説明した。

「でも、甲子楼の前を通ったときの、客待ちの人力のおっさんの、え!という顔面白かったな」

当時の中学生といえば十人中一人が進学するかどうかのエリート予備軍。その中でも、役人、医者、軍人、大会社の重役などの子どもは将来の高等学校や士官学校進学を目指しているので目の色を変えて勉強する。駒場の一高を始めとするナンバースクールに受かれば、学部を選ばなければほぼ全員その上の帝大に受かるからだ。

さもなければ、父親が歩んでいるエリートコースへの道は閉ざされる。同じ中学の生徒でも、そういうグループと賢治たちのグループは自然に、なんとなく分かれていた。

金丸と栄輔の冒険成功に刺激された「カラス組」が次に企てたのは、賢治の住む花街見学だった。発案したのは賢治ではなかったが、こちらの方は賢治の手配でうまくいくという自信があった。

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