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秋季東京都大会準決勝で敗退した日大三 小倉全由監督は来春で定年「どうなるのか、見ていてください」/高校野球リポート

週刊ベースボールONLINE

センバツの選出は厳しい状況



小倉全由監督が率いる日大三高は、東海大菅生高との東京大会準決勝[11月12日]で敗退した[写真=田中慎一郎]

 神宮の杜に、秋とは思えない光景が広がっていた。最後の夏が終わったかのように、敗退した日大三高の多くのメンバーが号泣。あまりの悔しさに、立ち上がれない選手もいた。

 日大三高は東海大菅生高との東京大会準決勝(11月12日)で惜敗した(2対3)。同大会は来春のセンバツ甲子園へ向けた参考資料であり、関東・東京の一般選考枠は「7」(関東5、東京1が基数で、残り1枠は両地区による比較検討)。日大三高のセンバツの選出は厳しい状況に置かれた。


試合後、小倉監督はメンバーよりも前に出て、三塁側の応援席に深々と一礼した[写真=田中慎一郎]

 選手たちは甲子園が遠のいただけで、涙しているのではない。日大三高・小倉全由監督への「思い」が、あふれ出ているように見受けられた。小倉監督は三塁側応援席へのあいさつを終えると再度、メンバーよりも前へ出て深々と一礼。通常であれば、すぐにベンチへ戻るが、これまでとは異なる動きだった。

 小倉監督は日大三高出身。春2回、夏2回の甲子園へ率いた関東一高では1987年春のセンバツ準優勝を遂げ、97年に母校監督に就任した。2001年夏、11年夏に全国制覇。春7回、10回の甲子園出場へと導き、通算37勝を挙げている。高校野球の名将として知られているが、教育者としても高い評価を受けている。

 生徒からは「父」として慕われている。東京都町田市内の学校施設内にある野球部合宿所の「三志寮」では、寝食をともにする。本音でぶつかり合う日々。大人である指揮官は、すべてをさらけ出す。親子のような絆が、日大三高野球部の文化、伝統として根づいている。だからこそ、選手たちは毎年、こう言う。

「小倉監督を男にしたい!!」

「小倉監督の野球で、日本一になる!!」

 左胸に「三高」の校章。いつになっても、ユニフォーム姿がカッコいいのだ。65歳にはまったく見えない着こなし。学校、グラウンド、寮で24時間の熱血指導。自らを律し、常日ごろからトレーニングを積んでいる成果である。

負けから得る「学び」


 試合後のコメントも人柄がにじみ出ている。

 東海大菅生高との準決勝敗退後も「らしさ」が出ていた。日大三高は2対3で迎えた9回裏一死一、二塁で、主将・二宮士(2年)が三遊間への痛烈な打球を放った。しかし、東海大菅生高の遊撃手・門間丈(2年)が横っ飛びで捕球し「6-4-3」の併殺に阻まれている。仮に抜けていれば同点となり、サヨナラのチャンスが広がっていたかもしれない。

 小倉監督は試合後の取材で、開口一番「向こうのショートは、良いプレー。ナイスプレーです」と相手チームをたたえたのである。さらに、幕切れの場面をこう振り返っている。

「キャプテン(の二宮)が良い打球を打って、捕られたんだから、仕方ない」


試合後の会見では、冒頭で自校よりもまず、相手チームの好プレーをたたえた。小倉監督の人柄がにじみ出ていた[写真=BBM]

 負けから得る「学び」。小倉監督は昨秋を回顧した。東海大菅生高との準々決勝で勝利(8対7)も、準決勝では国学院久我山高に5回コールド敗退(3対14)。これまでの監督生活で、経験したことのない屈辱感を味わった。

 一冬で基礎基本から鍛え直して、今夏は4年ぶりの甲子園出場。「悔しさを力にして、どう伸びていくか。そこが試される」。どん底から頂点をつかんだ旧チームの成長過程は、小倉監督自身も、教育者としての新たな「学び」があったという。

 小倉監督は1957年生まれ。今年4月で65歳となり、来春で定年となる。報道陣から今後について問われると「どうなるのか、見ていてください」と話すにとどめた。ただ、5分間の取材の最後には「もっと強いチームになるように指導していきます」と語っていたが、その真意は、この段階では分からなかった。

 東京大会の試合後の取材は監督5分、その後、選手10分という設定である。小倉監督が会見場を引き揚げる際、すぐそばで控えていた指名選手2人はまだ、すすり泣いていた。本来、監督は先にチーム本隊へと戻るが、小倉監督は「2人が泣いているので、待っています」と待機。取材が終わると「じゃあ、行こう!」と生徒を引き連れて、神宮球場をあとにした。

 学校の教育者、高校野球の監督であり、父の背中だった。生徒から親しまれる理由がよく分かる一コマ。一生懸命。小倉監督の指導者としての不変の信念である。日大三高は2022年秋も、全力でグラウンドを駆け抜けた。

文=岡本朋祐 写真=田中慎一郎
 
   

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