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親子でベストナイン獲得 父との約束を最後に果たし、神宮をあとにした慶大・宮尾将

週刊ベースボールONLINE

「返り咲き」でレギュラーに



慶大・宮尾は4年秋に初のベストナインを受賞[外野手部門]。父・毅さんは1994年、早大4年春に受賞[二塁手部門]しており、親子での受賞となった

 ネクストサークルで正座して待機するのが、慶大・宮尾将(4年・慶應義塾高)のルーティンである。かつて神宮でプレーした父・毅さんが実践。打席に入る前に、集中力を高める効果がある。父からの助言を受け、秋のシーズンに合わせて、息子も試合で取り入れた。

 東大との開幕カード3試合で12打数8安打。立大2回戦まで開幕から5試合連続安打を放った。シュアな打撃で慶大打線を活気づけた。早慶戦を迎えるまでに36打数14安打、打率.389とリーグ2位につけていた。慶大は最終カードの早大で、勝ち点(2勝先勝)を奪取すれば優勝という条件にあった。大一番の早慶戦を前に、慶大・堀井哲也監督は4年生・宮尾の貢献度について、こう語った。

「今年の4年生は早くから出ていた学生、苦労して4年生から出場した学生。いろいろな関わりがミックスされたチームです。宮尾は『返り咲き』になります。卒業後は野球を継続しないですが、慶應のユニフォームを着て最後までやる、と。一生懸命。真摯に取り組む。指導者としても、勉強になりました」


慶大・宮尾の父・毅さんは早大4年春にリーグ戦デビューした苦労人。レギュラーを獲得した同春は打率.390でベストナインに輝いた。右打席からシュアな打撃が持ち味だった

 宮尾の父・毅さんは鎌倉学園高から指定校推薦で早大入学。3年秋までは出場機会に恵まれず、4年春(1994年)に二塁手の定位置を獲得した苦労人だ。右打席からシュアなスイングで打率.390でベストナイン受賞。4年秋も春の16安打を上回る17安打を放ち、打率.283をマークした。「記憶がないほど、必死。石井連藏監督の下、早稲田野球を学び、織田主将(淳哉)ら、仲間に恵まれた4年間でした」。企業チームからも声がかかる実力者だったが、野球は大学で一区切りにした。

 家庭を持ち、息子と早慶戦を観戦すると、神宮にあこがれを持つようになったという。宮尾は父親譲りで、野球センス抜群。武蔵府中リトルでは世界一を経験し、武蔵府中シニア時代には侍ジャパンU-15代表でプレーした。早慶戦でのプレーを夢見るようになり、法政二中から慶應義塾高へ進学。3年春、夏には一番・遊撃手として甲子園に出場した。

 目標はプロ野球選手。U-15代表では小園海斗(報徳学園高-広島)とプレーし、遊撃手にこだわりを持ってきた。慶大に入学すると、宮尾は父・毅さんに「ベストナインを2回は取りたい」と意気込みを話していたという。

ショートを捨てて外野で勝負


 1年秋にリーグ戦デビュー。2年春には2学年上で、慶應義塾高時代からのあこがれの先輩・瀬戸西純(ENEOS)が着けていた背番号5を譲り受けた。「5」は早大4年時に父が背負った数字でもあり、思い入れがあった。

 しかも、ポジションも父と同じ二塁手。2年春、秋は主将・瀬戸西(東京六大学のキャプテンは背番号10)と二遊間を組み、全試合に出場。しかし、3年時は春4試合、秋2試合と控え選手としてベンチを温めた。最終学年。出場機会を求めるため、外野手に転向した。内野手のプライドはあったが、チーム事情を優先するため、コンバートを受け入れた。

「ショートを捨てて、外野手で勝負できたのも、チームメートの支えがあったからです。苦しいことばかりでしたが、感謝しています」

 4年春は13試合中12試合に出場し、2年秋以来の規定打席に到達。そして、集大成と位置づけた秋の活躍につなげた。最後の早慶戦。宮尾は2試合で7打数無安打(リーグ7位の打率.326)。チームは連敗を喫し、リーグ優勝を惜しくも逃した。早大2回戦後、宮尾のベストナイン初受賞が発表された。1シーズンを通しての活躍が評価されたのだった。

 親子でのベストナインは過去に立大・長嶋茂雄、一茂と立大・高林恒夫、孝行の例があるが、極めて珍しい。過去の2組とは異なり、宮尾家は2校での受賞。父・毅さんは言う。

「あらためて聞くと、すごいですね。感慨深いものがあります。周りの方のサポートのおかげです。感謝しかありません。自分がプレーした当時よりも、緊張して見ていました」

 宮尾は早大2回戦後、喜びをこう語った。

「ベストナイン? 気にしていませんでした。優勝できなかったことのほうが悔しい。でも最後までやり切れたので、良かったです。本当は首位打者を取って、ベストナインも受賞したかったですが、これも、自分の実力。親子ベストナインですか? 偉大なこと。ビックリしています。素直にうれしいです」

 この早慶戦で、第一線でプレーするのは最後である。父・毅さんは、野球における卒業後の進路について、アドバイスしていた。

「どんなに周りから『やめろ!』と言われていても、自分に自信があるならやれ、と。一方で、どんなに勧められても、自分で限界と感じているならば、無理にやる必要はない」

 宮尾は後者を選択した。一般企業の就職活動を展開した時期もあったが、この秋までは、慶應義塾体育会野球部のため、野球を最優先に全力を注いできた。今後の進路は未定。「じっくり、考えて、自分の人生を切り開いていきたい」と宮尾は笑顔で語った。

 そして、こう続けた。

「ベストナインの3代はいないんですかね? チャレンジしたいと思います!!」

 目標のリーグ制覇には届かなったが、その表情には、達成感が満ちあふれていた。本気で取り組んだからこそ出た涙。背番号5。父との約束を最後に果たし、神宮をあとにした。

文=岡本朋祐 写真=田中慎一郎、BBM
 
   

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