高度1万メートルの、空の上。
今日もどこかへ向かう乗客のために、おもてなしに命をかける女がいる。
黒髪を完璧にまとめ上げ、どんな無理難題でも無条件に微笑みで返す彼女は「CA」。
制服姿の凛々しさに男性の注目を浴びがちな彼女たちも、時には恋愛に悩むこともあるのだ。
「私たちも幸せな恋愛がしたーい!」
今日も世界のどこかでCAは叫ぶ。
◆これまでのあらすじ
「NYをアテンドしてくれたお礼に」と小泉の経営するホテルに招待された七海。1人で食事中、声をかけられ振り返ると小泉がいた。ニューヨークで会った時とは全く違う印象に、ちょっとときめいてしまう七海だったが…。
▶前回:気になる彼から、突然旅行に誘われて…。迷った挙げ句行くことにしたら意外な展開に…
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Vol.10 復縁したい理由
「あれ、もう朝?」
障子の向こう側、窓の外はすでに明るい。少なくとも早朝ではなさそうだ。
七海は、慌ててスマホを探し、時間を見る。
「あっちゃー、もう9時!」
昨夜は小泉にもてなされ、美味しい食事とお酒を楽しみ、そして、最後は…かなり酔っていたような気がする。
自分の足で歩いて部屋に戻った記憶はなんとなくあるし、小泉に失礼なことはしていないはずだ。
― あの後、小泉さんはどうしたんだろう?
なんとなくスマホをスライドする。ホーム画面には電話の着信が1件と、LINEには相当数メッセージが溜まっていることがわかる。
LINEのアイコンをタップすると、何人かからのメッセージに紛れ、小泉からのメッセージがあった。
瞬間的に、昨日の彼の言葉や表情の一つ一つを思い出し、七海の脳内で昨晩の食事のシーンが勝手に再生されてしまう。
― 何、思い出してんだろ、私。
七海は小泉からのメッセージを長押ししたまま読む。
既読にしたら返信する必要があるし、返信をしたら、それで終わってしまいそうで、なんとなく怖かったから。
『小泉:昨日は楽しかったです。気をつけてお帰りください』
これだけ簡素なメッセージに、お礼以外のどんな返信をすればいいのだろうか、と七海は考える。
― 次の約束につながるとでも思ってるの?私ってば…。さすがにそれはないでしょ…。
七海は、ベッドから下りるとフロントに電話をかけて、朝食を断った。
素敵な朝御飯が準備されているに違いないが、モリモリ食事をするような気分でもない。
アルコールをきれいさっぱり流すように、部屋に備え付けられている掛け流しの露天風呂に浸かってみる。
長湯のあとバスローブのままベッドの縁に腰を下ろし、スマホを手に取った。
『七海:こちらこそ楽しかったです。素敵なお部屋でぐっすり眠りました。今後友人を誘って泊まりに来たいと思います。ありがとうございました』
どう返信しようか、散々考えた結果、極めて普通のお礼LINEを送った。
― また会いたい…かも。でも、元お客様だし。私とは住む世界が違う感じがする…。
こんな気持ちは、仕事をしていれば自然と消えてなくなる。寄せては返す波のように時々脳裏をかすめる昨夜の記憶に、七海は冷静に蓋をしようとしていた。
◆
3オフの最終日の土曜日。
新太がランチの場所に指定してきたのは、以前デートの際に立ち寄ったことのある表参道の『ボネラン』だった。
案内されたテーブルに新太はすでに着席していて、七海が来ると小さく手を上げ、嬉しそうに笑った。
「久しぶり…だな。元気だった?」
「うん、久しぶりだね」と七海は答えたが、その後に続ける会話が見つからない。
正直なところ、新太と食事をする意味がわからないまま、七海はここに来てしまった。
新太が「とりあえず何か食べよう」とメニューを差し出した。
「メインは肉でいい?」と新太に聞かれ「うん」と答える。新太は白ワインをグラスでオーダーしたが、七海は「明日フライトだから」と言って断った。
「あのさ、急に呼び出したりしてごめんね」
浮かない表情の七海に気づいたのか、椅子の背に寄りかかっていた姿勢を正し、新太が詫びる。
「自分から別れたいって言っておきながら、俺、すぐに後悔してさ。七海のことばかり思い出しちゃって…」
新太の言い訳めいた話を聞きながら食事なんてしたくない。
「そうなの?意外かも」
表情を変えることなく、七海は平静を装った。
― すぐに後悔って…。だったら、その時すぐ連絡すれば良くない?
新太の言うことをまず疑ってしまう。
彼が去った数ヶ月前のあの日のことは、七海にとってはかなり辛い出来事だったのだから。
「意外かな?ちょっとした時に思い出すんだよね。いろんなことを。七海にひどいことをしたのは自分なのにな」
七海は何も言わず、静かに運ばれてきた前菜をつついた。
新太はそんな七海の様子を察したのか、いきなり椅子から立ち上がった。
「七海、あの時は本当にごめん!!」
周囲の人の目を気にする様子もなく、新太は深く頭を下げたまま動かなかった。七海は慌ててそれを制す。
「や、やめてよ、新太。お願い、座って」
新太のその姿を目の当たりにし、七海は思い出した。そうだった、彼のこんなまっすぐで不器用なところが好きだったのだと。
「私も仕事ばかりで、新太のことちゃんと考えてなかったから…。フライトで疲れていても、もっと時間を取れるよう頑張るべきだったし」
手にしていたカトラリーを置き、七海も新太に向き合うと、ようやく彼は椅子に腰を下ろした。
そして、新太は鞄から、小さな水色の紙袋を取り出した。
「これ、受け取ってくれるかな…」
― えっ?ティファニー?いきなり飛びすぎじゃない?
七海は新太の差し出すギフトに、すぐに手を伸ばすことができなかった。
「あ、びっくりしたよな。でもこれ、俺の気持ちだから。バイザヤード、以前欲しがっていたよな?」
「う、うん…」
新太が自分のために店まで足を運んでくれた事実は、素直に嬉しい。だが、これを受け取ったら、元サヤを了承したようなものだ。
「新太、それ受け取る前に、ひとつ聞いてもいい?なんで3ヶ月経った今頃、こんなこと言うの?欲しかったもの覚えていてくれたのは嬉しいけど、いきなり電話かかってきてそれ言われても…」
ティファニー一つで許してしまっていいのか?
まだ彼に対しての気持ちが残っているのか?
これで元サヤなら、昨日小泉に一瞬でも抱いた気持ちは何かの迷いだったのか?
そんな自問自答を巡らせながら、七海は新太に聞いた。新太の表情からは、もう七海の答えは自分が握っているかのように、不安は消えてなくなっているように見えた。
「そうだよな。今更だけど、俺と七海ってすべての相性がいいんだと思う。そういう人って、会いたいと思ってもなかなか会えないよな。お互いの仕事が忙しくて会えないだけで、そんな人を手放していいのかなって考えてさ」
七海は新太の言葉の丁寧に拾い上げ、その裏に潜む意味を考える。そして、一つの結論に至ったのだ。
「新太、すべての相性のすべてってどこらへん?」
「付き合っている者同士の相性っていうと、性格と食べ物、そして下世話だけどカラダかな」
答えながら新太は冗談めいて笑った。
「やっぱりね…」と七海はため息をついた。
「新太はたぶん他に好きな人ができて私の元を去ったんだと思うの。その彼女はどうなったの?」
七海の唐突な質問に、新太は驚きを隠せない表情をしている。
「だって、いきなり相性がどうのって言い出すなんて、誰かと比べているような言い方。それに、私が欲しかったのはバイザヤードじゃなくてTスマイルですけど」
「いや、その…正直いうと、あの時は魔が差したというか…。でも一周回って、やっぱり七海が最高だって思ったんだよ。美人だし、飯はうまいし、よく気がつくし」
新太がしどろもどろに白状する。
― は?一周回ってですって?
ついさっきまで七海に頭を下げ詫びる姿に、彼の誠意を感じていたはずだった。だが、たった今、そんな気持ちは一瞬で消失してしまった。
「ごめん、新太。私、やっぱ無理だわ。他の人探して」
吐き捨てるように告げると、七海は席を立った。にわかに噴き出してきた新太への怒りの矛先がわからず、無意識的に歩幅は大きくなり、踵で床を踏み固めるように出口に向かった。
― 飯がうまいですって?よく気がつくですって?それ私である必要ある?
イライラしながら外に出ると、原宿の喧騒に紛れ歩き続けた。表参道駅に向かう緩やかな坂道を歩き、グッチまで来たところで、なんとなく振り返る。
すると、欅並木の先に遠く澄み切った秋の空が見えた。
そして、なぜかあの箱根の夜、小泉に言われた言葉がリフレインした。
「今日はやらなくていいよ。いつも仕事でやってるんでしょ?」
取り立てて何事も起こっていない、ただ楽しく食事をしただけのあの夜の記憶が蘇る。
― やだ、また思い出しちゃった…。
七海が小さなため息をつくと、バッグの中でブルっとスマホが振動した。また新太が言い訳を連ねたLINEでも送って来たのかも、と一応取り出し、スワイプした。
― え?小泉さん?
メッセージを開く前から、胸の鼓動が速くなる七海だった。
▶前回:「なんで今更?」元カレから連絡があり戸惑う30歳女。久しぶりに会ったら、どうなる!?
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パーサー昇格試験に合格した七海。小泉と食事の約束はしたが、あることが気にかかって…
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2022年10月6日