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ドイツ代表、低迷期からの脱出。自国開催W杯を機に攻撃サッカーへ舵をきる

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ドイツ代表・強さの秘密(2)
(1)「ドイツ代表はなぜ強いのか。プラティニのフランスもお手上げだった全盛時代」はこちら>>

 東西ドイツが統一され、代表チーム名がドイツに変更されたのは1990年イタリアW杯後の1992年の欧州選手権(ユーロ・スウェーデン大会)予選からになる。


2002年日韓W杯で得点王となったドイツ代表ミロスラフ・クローゼ

 以降、1996年の欧州選手権(ユーロ・イングランド大会)こそ優勝を飾ったドイツだが、W杯では1994年アメリカ大会、1998年フランス大会でともにベスト8と停滞する。ユーロ2000(オランダ、ベルギー共催)では、ポルトガル、ルーマニア、イングランドと同居したグループリーグで最下位に沈む。続くユーロ2004(ポルトガル大会)でもグループリーグ落ち。チェコ、オランダの後塵を拝したばかりか、小国ラトビアにも引き分ける有様だった。

 その間に行なわれた2002年日韓共催W杯で、ドイツは準優勝している。だがこれは、くじ運に恵まれた結果だと筆者は見ている。とりわけ準々決勝のアメリカ戦は、危ない試合だった。ドイツのトルステン・フリンクスが、ゴールライン上で相手のシュートを手で止めたにもかかわらず、主審は、ドイツを敗退させるわけにいかないとばかり、PKの笛を吹かなかった。

 2000年前後は、ドイツが史上もっとも弱かった時期だと筆者は考える。再び上昇気流に乗る転機となった大会は、2006年自国開催のW杯になる。

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 欧州各地でサッカーファンに「好きな国、嫌いな国」を尋ねれば、嫌いな国の一番手にドイツを挙げる人は多くいた。ナチスドイツのイメージをいまだ引きずる人が少なくないことを知る機会にもなったわけだが、当のドイツ人も、自らの不人気ぶりを自覚している様子だった。

 たとえばユーロの現場では、各国サポーターは国境の垣根を超えて親睦を深めようとする。試合が終われば繁華街に繰り出し、和気藹々とアルコール類を酌み交わす。ユーロ2004でいえば、大会最高の名勝負となったオランダ対チェコの試合後、両国サポーターはノーサイドとばかり肩を組み、深夜までお互いの健闘を讃え合った。

 だが、ドイツ人はそうした輪の中に加わろうとしない。ドイツ人同士で固まろうとする。なぜかと理由と尋ねれば「僕らは嫌われているからさ」と自嘲気味に返してきたものだ。

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