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球界に”衝撃”…戦力外通告or自由契約でまさかの退団となった大物選手5人

ベースボールチャンネル

球界に”衝撃”…戦力外通告or自由契約でまさかの退団となった大物選手5人(C)ベースボールチャンネル プロ野球 最新情報(最新ニュース) ドラフト会議が近づくとともに、2022年10月3日から戦力外通告の通告期間が始まった。先日はソフトバンクホークスの松田宣浩が退団を発表したが、過去にはまさかの形で戦…
プロ野球 最新情報(最新ニュース)

 球界に入る者がいれば、去る者もいる。毎年10月にはドラフト会議が開催され、新たにプロ入りの切符を掴むが、一部の現役選手は戦力外通告などで厳しい現実が叩きつけられる。過去には、まさかの形でチームを退団した選手も数多く存在。そこで今回は、戦力外通告または自由契約を経験した大物選手を紹介する。

 

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村田修一


出身:福岡県
投打:右投右打
身長/体重:177cm/92kg
生年月日:1980年12月28日
ドラフト:2002年ドラフト自由枠

 
 横浜ベイスターズだけでなく、2009年のWBCでも4番として活躍した村田修一。プロ通算で360本塁打を記録した村田だが、NPBでの選手生活の終わりはあまりに突然だった。
 
 元々は投手だった村田は、日本大学に入学してから野手に転向する。大学では通算20本塁打を放ち、自由枠でベイスターズに入団した。1年目から25本塁打を放つ長打力を発揮し、毎年のように2桁本塁打を記録。何より、2008年の打率.323・46本塁打・114打点という成績は圧巻と言えるだろう。
 

 
 三冠王すら狙えるような成績を残した一方、当時のベイスターズは低迷期。「優勝争いがしたい」という気持ちを抑えることができず、FA(フリーエージェント)で2011年オフに読売ジャイアンツに移籍した。苦しむシーズンもありながら、2013年の8月にはセ・リーグの月間最多安打を更新するなど、チームの優勝に貢献した。
 
 2016年は打率3割超えで25本塁打を記録したものの、2017年は成績を下げた村田。すると、若返りを図る球団の方針もあり、まさかの自由契約。NPBでの現役続行を希望するも、獲得する球団は現れなかった。2018年は独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレー。同年限りで現役を引退した。

井端弘和

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出身:神奈川県
投打:右投右打
身長/体重:173cm/73kg
生年月日:1975年5月12日
ドラフト:1997年ドラフト5位
 

 「アライバコンビ」と呼ばれた鉄壁の二遊間は、まさかの形で終わりを迎えることになった。
 
 ドラゴンズの2番バッターとして活躍した井端弘和は、芸術的なバッティングを見せたかと思えば、堅実に送ることもできる器用な選手だった。何より、荒木雅博との二遊間は相手チームに幾度となく絶望を与えた名コンビとして、今でも語り継がれている。
 

 
 井端は落合監督のもと、2004・2006・2010・2011年の4度のリーグ優勝に貢献。2013年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では、野手として最大の活躍を見せた選手でもあった。しかし、2013年のオフに落合がドラゴンズのGMに就任すると、大胆なコストカットを断行。契約交渉の場では、井端に対して大幅な減俸提示をして波紋を呼んだ。
 
 「事実上の戦力外」とも言える扱いに対し、井端はドラゴンズ残留ではなく自由契約の道を選び、ジャイアンツが井端の獲得を発表。ジャイアンツでは2年の在籍に留まったものの、球史に名を残すショートとして最後まで輝き続けた。

山﨑武司


出身:愛知県
投打:右投右打
身長/体重:182cm/100kg
生年月日:1968年11月7日
ドラフト:1986年ドラフト2位

 
 中村紀洋がテスト生から這い上がったことと同様、山﨑武司も戦力外から這い上がった選手の1人だ。
 
 1986年ドラフトでドラゴンズに入団した山﨑は、9年目の1995年に初めて2桁本塁打を達成。「遅咲き」とも言える活躍を見せると、1996年は打率3割(.322)・30本(39本塁打)・100打点(107打点)という脅威の数字を残し、本塁打王に輝く。その後も主砲として活躍を続けたが、2002年は極度の不振に陥り同年オフにトレードとなった。
 

 
 2003年からはオリックス・ブルーウェーブに移籍したものの、当時の監督だった伊原春樹とソリが合わず、監督室にバットを投げることもあったほどだ。そして、2004年に戦力外通告を受ける。
 
 引退も考えたと言われていた中、2005年から新設された東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。すると、イーグルス在籍3年目にキャリアハイの43本塁打を放ち、本塁打王のタイトルを獲得した。野村克也のもとで蘇った山﨑は、2009年のCS(クライマックスシリーズ)でも仙台で本塁打を放った。ダイヤモンドを一周し、野村監督と抱擁した瞬間はイーグルスファンの脳裏に深く焼き付いているはずである。

中村紀洋

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