凄惨な描写は、ただ自分が見たままを書いただけ。遭難救助や遺体搬出を引き受けるのは、人助けの崇高な精神からではなく、ましてや金銭のためでもない。「これという深い理由はない」(本書より)のであり、純粋な義侠心から行なっているだけなのである。
昭和のこの時代は、「世界残酷物語」的なコンテンツが人気を博した時代。本書も、タイトルからして出版社は「谷川岳残酷物語」を書いてほしかったのかもしれない。しかし当の寺田にはそんなことは知ったことではなく、好きなように書いてしまったというのが私の見方だ。
■山は楽しく登りたい
筆致は過激で赤裸々ではあるものの、本書は残酷コンテンツにはなっていない。むしろ、貧しい時代であっても一所懸命山に情熱を傾けた青春記の様相さえある。
山のサルベージ屋などはいらなくなってほしい。
楽しく、面白く、思い出を残すような山行を切に望む次第だ。
本書の最後のほうには、こんな一節も出てくる。悲惨な遭難のようすを書いておきながら、山は楽しく登りたいーーこちらのほうが、寺田甲子男という人物のキャラクターとメッセージを正しく表しているように思うのだ。