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オカダ・カズチカが熱望したアントニオ猪木との“夢”は途絶える。それでも「燃える闘魂」は永遠に受け継がれる【追悼コラム】

THE DIGEST

オカダ・カズチカが熱望したアントニオ猪木との“夢”は途絶える。それでも「燃える闘魂」は永遠に受け継がれる【追悼コラム】

 10月1日、午前7時40分。新日本プロレスの創設者で、元プロレスラーのアントニオ猪木氏が亡くなった。享年79歳だった。

 猪木氏の訃報はプロレス・ファンだけに留まらず、Twitterのトレンドでも「猪木さん」が1位となるなど、日本全土に広まった。また、と1976年6月26日に日本武道館でプロボクシング世界ヘビー級王者だったモハメド・アリと異種格闘技戦を行なったことや、WWEの殿堂入りを果たした実績から、世界の格闘関係者やファンから悲しむ声が上がった。それらはいずれも猪木氏の偉大さを物語った。

 日本プロレスの父、力道山(故人)のスカウトによって人生が変わった。

 1960年9月30日に生涯のライバルであるジャイアント馬場(故人)と日本プロレスで同日デビューを飾った猪木氏は、力道山が急逝後に海外へ遠征。遠征中に豊登(故人)に説得され、新団体「東京プロレス」のエースとして凱旋帰国も団体崩壊とともに日本プロレスに復帰。馬場とのBI砲で日本のプロレス界を背負う存在へと成長した。
  しかし、その日本プロレスから追放されると、1972年3月に新日本プロレスを旗揚げ。その旗揚げ戦は「プロレスの神様」ことカール・ゴッチ(故人)に敗れたものの、後のストロングスタイルを確立させる試合として、今なお語り継がれている。

 常にその視野は世界を見据えていた。「対世間」を意識した猪木氏は柔道のウィリアム・ルスカと格闘技世界一決定戦として異種格闘技戦路線を始める一方で、タイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアント(故人)、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、ビックバン・ベイダー(故人)といった外国人レスラーを自らが闘うことにより、世界に通用する選手へと変貌を遂げた。

 無論、そのなかで後進の育成にも寄与。藤波辰爾、長州力、前田日明、藤原喜明、初代タイガーマスク、高田延彦、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也(故人)、獣神サンダー・ライガー、船木誠勝、鈴木みのるなど、数々の弟子たちは一線級で活躍した。 1998年4月4日に東京ドームで7万人もの大観衆を集めて華やかに引退した猪木氏。その後は新日本に介入しながら、小川直也をエースにした新団体「UFO」をはじめ、格闘技イベント「PRIDE」やイノキ・ボンバイエに加担。次第に格闘技ブームに押されてしまった新日本とは反目する立場をとるようになる。

 2005年11月にゲーム制作会社のユークスに自身が保有する新日本の株を売却。これを機に猪木氏は独自路線を歩むようになり、新日本とは疎遠となった。

 だが、近年の猪木氏は長州や前田、古舘伊知郎アナウンサーら疎遠だった弟子や関係者と連絡をとり、食事会を設けていたという。新日本にも2020年1月にライガーが引退した際にはビデオメッセージを贈り、お馴染みの「1.2.3.ダァー!」を披露していた。
  雪解けも見えていた今年は新日本にとって創立50周年の節目を迎える年でもあった。2.20北海道きたえーる大会では、IWGP世界ヘビー級王座を防衛したオカダ・カズチカが「今日、2月20日は猪木さんの誕生日ですから。この防衛をプレゼントとして、お返しは新日本プロレスのリングでお待ちしております」とラブコール。オカダはリング上でも猪木氏の来場を呼びかけていた。

 しかし、創始者を再びセルリアンブルーのリングに上げるという夢は叶わなかった。新日本プロレスの主力選手の多くがイギリス遠征中であったため、その訃報を遅れて伝えられたという。

 やはり、猪木氏が再び新日本のリングに上がれなかったのは残念でならない。しかし、かつて誰もが熱狂した「燃える闘魂」は、新日本のリングはもちろん、アメリカの「WWE」など、各国の格闘技イベントでも燃え尽きはせず、永遠に受け継がれていくはずだ。

 合掌。

※一部敬称略

文●どら増田

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