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【訃報】アントニオ猪木さんが死去 プロレス界の巨星墜つ

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【訃報】アントニオ猪木さんが死去 プロレス界の巨星墜つ

 アントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)が1日、心不全のため亡くなった。79歳だった。

 猪木さんは2020年に難病の「全身性アミロイドーシス」を患い、闘病生活を送っていた。2、3日前から低血糖で体調が悪化。都内の自宅で療養中だったが、この日の朝7時40分、息を引き取ったという。

 猪木さんは1943年2月20日、神奈川県横浜市出身。少年時代は陸上競技で活躍し、移民先のブラジルで力道山にスカウトされて日本プロレス入り。1960年9月30日、台東体育館における大木金太郎戦でデビューした。64年には東京プロレスを旗揚げ。崩壊後、日プロに復帰し、ジャイアント馬場との“BI砲”でプロレス黄金期をけん引した。

 72年3月、新日本プロレスを旗揚げ。ストロング小林、大木金太郎らとの大物日本人対決の実現、タイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセンらとの抗争で人気を不動のものとした。また、76年から異種格闘技路線を推進。プロボクシング世界ヘビー級王者モハメッド・アリとの世紀の一戦を実現させ、大きな注目を集めた。

 新日ブームと称された80年代には“乱立するタイトルの統一”を旗印にIWGP構想を掲げ、83年にIWGPリーグ戦を開催。舌出し失神KO負けを喫したハルク・ホーガンとの優勝戦は今も語り草となっている。そして87年に4年連続優勝を果たし、初代IWGPヘビー級王者となった。

 98年4月4日、東京ドームで引退試合を行い、38年間に渡るプロレスラー人生に終止符。引退後はUFO、IGFなどの団体を興し、2010年には日本人初のWWE殿堂入りを果たした。

 また、政治家としても活動。現役時代の89年にスポーツ平和党を立ち上げ、同年の参議院選挙比例区で当選し、国内史上初の国会議員レスラーとなった。2013年7月に2度目の当選を果たしている。

 “燃える闘魂”と称され、幾多の名勝負を残した猪木さんの存在はプロレス界の発展に大きく寄与した。そして異種格闘技戦は現在の総合格闘技の礎となった。

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