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アントニオ猪木さんが死去。今後の活動に意欲を見せていた矢先の訃報

TOKYO HEADLINE

 元プロレスラーのアントニオ猪木さんが10月1日に亡くなったことが分かった。79歳だった。

 猪木さんは2018年から心臓の難病「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」を患い闘病中だった。そんな中でも今年8月には新たなる専属マネジメント会社「猪木元気ファクトリー」が設立され、今後の活動に意欲を見せていた矢先の訃報だった。

 猪木さんは1943年に神奈川・横浜で生まれ、13歳の時に家族とともにブラジルに移住。1960年に興行でサンパウロを訪れていた力道山からスカウトされ日本へ帰国。日本プロレスに入団した。終生のライバルとなるジャイアント馬場さんとは同日入門だった。馬場さんとはデビューも同日。

 力道山の付き人を務めた猪木さんは力道山亡き後、海外遠征で頭角を表し、1966年に豊登とともに東京プロレスを設立。しかしノーテレビだった東プロはすぐに崩壊し、日プロに復帰。馬場さんとともにエースとして活躍するも、1971年には会社乗っ取りを企てたとして追放され、1972年1月26日に新日本プロレスを旗揚げした。

 新日ではタイガー・ジェット・シンとの抗争、タブーとされていた大物日本人同士の対戦、ウィリアム・ルスカ、モハメッド・アリといった他競技の強豪選手との異種格闘技戦といった斬新な戦いでプロレスブームを巻き起こした。

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 1989年にはスポーツ平和党を結成し政界進出。第15回参議院議員通常選挙で初当選した。1990年には湾岸戦争によりイラクで人質となっていた日本人の解放に貢献。1995年には北朝鮮で「平和のためのスポーツ祭典」を開催した。

 選手としては1998年4月4日に東京ドームで引退試合を行い、ドン・フライにグラウンド・コブラツイストで勝利を収めた。

 引退後はUFO、PRIDE、INOKI BOM-BA-YEなどを通じて格闘技界とも接点を持った。2007年には「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」を発足。2017年には両国国技館で生前葬を行った。

 闘病中はSNSで自らの現状を隠さず報告。NHKのドキュメンタリー番組「燃える闘魂 ラストスタンド」、同「ライブエール」、日本テレビの「24時間テレビ45」などでも元気な姿を見せていた。

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