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『初恋の悪魔』を観終えて残った寂しさ 私たちが坂元裕二作品を追いかける理由

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 悠日と摘木はしばらく鹿浜の家に居候していたが、悠日の職場復帰が決まったことで、鹿浜から追い出され、新居で暮らすことになる。一人になった鹿浜はこれまでの日々を振り返る。

 エピローグでは各登場人物のその後の姿が描かれる。摘木とリサの楽しそうなやりとり。一人になった鹿浜が別人格の摘木星砂のことを思い出す場面。そして風の強い夜に「散歩しませんか?」と言って会いに来た、別人格の摘木と鹿浜の最後のやりとり。

 あっさりと語られた事件の顛末とは逆に、彼らの姿は長い尺でとても丁寧に描かれる。おそらく物語の顛末だけでなく、役者の演技もじっくりと見せたかったのだろう。

 坂元裕二のテレビドラマは、あみだくじを引きながら書いているようなところがある。話が進むにつれて、当初あった無数の選択肢が狭まっていき、いろいろなものがこぼれ落ちていく。だから観終えると、どうしてこういう結末になったのかが理解できず、一人取り残されたような寂しい気持ちになる。だが、この寂しさは嫌いではない。

 最初に提示した要素をすべて回収してキレイにまとめるのが上手いドラマの脚本だとすれば、坂元裕二の脚本は真逆だ。『初恋の悪魔』は、物語こそまとまっているが、言語化されていない部分や掘り下げの足りない登場人物が多い。しかし、このうまく語られなかった部分にこそ、作者の手触りを強く感じる。

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 第9話のレビューで、弓弦のことを「理解の及ばない暴力的な他者」と書いたが、筆者にとって坂元裕二のドラマは、そういう存在なのだと思う。だからこそ、今回こそは理解したいと思い、彼の作品を見続けているのかもしれない。 

(成馬零一)

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