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佐野史郎が語る「多発性骨髄腫」40度の熱が3週間続き「さすがにダメかな」…朦朧として見た“不思議な夢”

SmartFLASH

「それまで血液検査をしても、特になんの問題もなかったし、骨髄検査なんてふだんはしませんからね。いつ発病したかはわかりません」

 

 入院生活の最中、佐野を再び高熱が襲った。

 

「最初は腎機能が落ちたので、それを回復させつつ治療を始めたんです。まず腎臓を直さないと、骨髄腫の治療に移れない。そこで敗血症になっちゃったんで、それが本当に大変だったんです。がん細胞をある程度抑え、腎機能を回復させたりする過程で、免疫機能がやっぱり落ちるので感染しちゃった」

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 3週間、高熱にうなされた。

 

「いろんな手を尽くしても熱が下がらなくて、38度、39度、ときには40度っていう状態が連日続く。去年の6月くらいかな。そのときはさすがに『ダメかな』と思いましたよね」

 

 朦朧とする意識のなか、不思議な夢を見た。

 

「うまく言えないんだけど……なんか、こう宮司というか、巫女みたいな人がいる入口があって、その前に僕がいるんですよ。神道の神職って感じでもないんだよなあ。そういう雰囲気というか。まあ、そういう夢は心の反映だろうから、不安の反映かもしれませんけれど。よく『あの世なんてあるわけない!』と、ムキになって反論する人がいるけど、あの世の存在を人間の感覚で語るのはナンセンスだと思うなあ。

 

 あろうが、なかろうが、あると思う人は信じていいと思うし、ないと言うならなくてもいいし。僕がホントに幽体離脱してあの世の入口に行ったのか、不安がそう見せたのか、まあ、どっちでもいいです。死を意識したのは1日だけだけど、体が参ってたのは事実ですよね」

 

 その後、熱は奇跡的に下がり、抗がん剤治療も成功。地道なリハビリが功を奏し、2カ月の入院生活から生還した。

 

「2021年の暮れに『徹子の部屋』で骨髄腫を公表してからは、ファンの方からメールやメッセージをいただきました。僕はSNSもやっているので、同じ病気の方から励ましのお言葉もいただき、それは本当に心強かったなあ。だから全然、悲観的になることはなかったです。

 

 同じ病気を抱える人たちに情報として役に立てばいいと思って退院後の経過とか、どういう治療なのかとか、治療の経過を細かくお伝えしました。やっぱり死と向き合うわけだから、病気を通して自分の死生観、世界観も確認しました。矛盾していることを、葛藤せずに抱えることが大切なのだと思いました。

 

 振り返れば子供のころから○か×か、答えをはっきりさせることがよしという風潮のなかで生きてきた気がするんですが、グレーで曖昧でもいい。体が病に侵されるという事実、いずれは死を迎えるという事実、新しい命が生まれるという事実。意味や答えを求めず、死と生という相反するものを同時に抱えて生きているんだという矛盾自体を事実として受け止める、その感覚が大切だなと思いましたね。

 

 絶対に神様はいると言う人に『いないよ』とか、『絶対いない』と言う人に『わかんないじゃん』とか言っても、『やめろ、認めない!』と会話にならないでしょ。『不思議だね、なんだろうねえ』っていう感覚で、常に探り続けるっていうのが大事なんじゃないかなあ。芸能の仕事っていうのは、答えの出ない問いかけを通して共感し合い、心救われるためにあるのかなと思わされました」

 

 50代、60代と年を重ねると、気をつけていても病気になることはある。そればかりは、なってみないとわからない。

 

「がん保険も入ってたんでね、それはやっぱり助かりました。毎月大きな出費だけどね、保険料って。それでも、掛けておいたほうがいいですよ。病に備えてちゃんとお金を貯められる人ならいいけど、たいていの人は使っちゃうじゃないですか。僕なんてお金があったらギターを買っちゃいますよ。

 

 あとは国民健康保険のシステム。よーく勉強したほうがいいですよね。高額療養費制度とか、じつは使えるものがいろいろあるんで。今回ばかりは、国家に助けられてありがとうございますって思いますよ。べつにそんな皮肉で言ってるんじゃなくて、本当にそう思います」

 

 佐野は、今年3月ごろから仕事に復帰。彼らのデビュー当時からつき合いのある大好きなロックバンド・くるりの『loveless』のMVへの出演など活動を再開した。

 

「でも体力は前のようにはいかない。疾病持ちなのでコロナ感染は怖いし、やっぱり少し熱が上がるときもあるので。体調に不安を感じたときは自己判断せずに、病院に行きます。入院中、医療チームは映画の撮影チームと一緒だなと思って治療に臨んでいました。患者の役を演じているような感覚で、主治医は監督、看護師さんは技師さん……それぞれのパートのプロ集団です。

 

 僕は医者役もよく演じてきましたしね。ずーっと取材していました。お医者さんやリハビリの先生、緩和ケアの方、きちんと言葉が届く人、マニュアルを読んでいるように言葉が届かない人、挙動不審な人、人の話が聞けない人、一挙手一投足が演技の参考になった。病院の皆さんも映像の現場も、やはりきちんと心が通わないと。ことに医療は命に関わるわけですから怖いですよね」

 

 自分は健康だと思っている中高年世代も、体のメンテナンスは大事だと佐野は言う。

 

「機械と一緒で、体は必ず劣化していきますからね。どうつき合っていくか、ですよね。なんで元気じゃないんだ! とか、ダメだ! とか、白黒はっきりした答えを求めようとしないで、うまくつき合っていければいいですよね。そのためには、自分の体の状態を常に感じていなければいけませんが。ヴィンテージのギターは経年劣化して配線ボロボロでも、ちゃんとメンテナンスすれば、響き続けた木はやっぱり鳴るわけだし。年を取ることは悪いことばっかじゃないですよ」

 

 10月から『最高のオバハン 中島ハルコ』『親愛なる僕へ殺意をこめて』と2本の連続ドラマにレギュラー出演する。

 

「大病を経ても、この先もまだまだ仕事しているっていうのがおもしろいと思うんですよ。『あの人すごいね』じゃなくて『なんだあいつ、まだやってんの?』みたいな。冬彦からも30年たっちゃったしね。日常のなにげない瞬間を愛しく感じながら作品に取り組めればと。べつに立派なものを残そうってわけじゃないので」

 

 曖昧に、でも考えることはやめずに、佐野史郎の役者人生は続いていく。

 

さのしろう
1955年3月4日生まれ 島根県出身 1986年、映画『夢みるように眠りたい』で初主演。1992年、ドラマ『ずっとあなたが好きだった』(TBS)の冬彦さん役で社会現象に。以降、映画、ドラマ、舞台、音楽と幅広い分野で活躍している。10月からドラマ『最高のオバハン 中島ハルコ』(10月8日スタート、23:40~東海テレビ・フジテレビ系)、『親愛なる僕へ殺意をこめて』(10月5日スタート、22:00~フジテレビ系)にレギュラー出演する

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