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昭和時代、名古屋…「家賃督促」に駆り出された不動産会社の従業員〈ささやか過ぎる実入り〉に涙

幻冬舎ゴールドオンライン

昭和時代の名古屋。賃貸業をメインとする不動産会社の若手営業マンが、社長のムチャぶりで刊行した「住宅情報雑誌」は、苦労の甲斐があって大好評。本業である不動産の賃貸にも大きく貢献し、部屋はどんどん埋まっていきます。一方で、不動産の賃貸管理業の成長とともに、新たな課題が見えてきました。会社は効率化のため、「管理事業部」を新設しますが…。

「管理事業部」の新設で、営業の負担は軽減したが…

「アパートニュース」のおかげで仕入れた空室はどんどん埋まっていくため、オーナーとの取引も増えていきました。付き合いのあるオーナーが増えていくにつれ、それぞれの営業支店から管理事業の必要性を訴える声が少しずつ高まりました。

この当時、オーナーに合わせて家賃保証(家賃未回収によるオーナーの損失をなくすため私たちがオーナーに家賃を支払うサービス)を主体にした総合管理システムと、簡略版の退去立合システム(部屋の状態・入居年数・故意過失の有無などから退去時の敷金精算業務を行うサービス)の2商品を設計し、取引開始時にオーナーと業務契約を結ぶようにしていました。しかし、この有料管理システムの重要性が当時のオーナーには十分に伝わりきらず、加入に二の足を踏むケースが多くあったのです。オーナーから理解を得て加入してもらうための説明が大変でした。

この頃になると支店が増えて社員が足りず、特に退去の立合や修理見積りに時間を取られ、請求書発行などの事務作業が遅れがちでした。家賃滞納や水回りの不調、隣人トラブルの処理などを優先しなければならず、本来スピーディーに行うべき事務的業務が後回しになって仕事が遅れることも散発しました。

そうした事情を受けて1978年4月、管理事業部が社内に新設されたのです。管理専門の部門ができたことで、営業は営業活動に専念できるようになりました。入居契約が管理事業部の基準を満たせば、営業の社員は契約書等と入居費用をそこへ送るだけで済み、その後の手続きは管理事業部がしてくれるのでずいぶん負担が軽くなったのです。トラブルやクレームなども管理事業部が対応してくれます。

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営業部にとっては負担軽減になる改革でしたが、その分、管理事業部の負担は大きなものでした。

負担が重い「家賃滞納者への督促」も、収益は雀の涙

まず家賃滞納者への督促と回収ですが、これはかなり荷の重い仕事です。というのも当時は入居基準が甘く、今のような厳正な入居審査もなかったことから、家賃の支払いにルーズな人や粗暴な悪質入居者が多数いたのです。

管理事業部の社員が家賃滞納者の部屋を一軒一軒回って滞納分の家賃を回収したり、期日までに支払いが実行されなければ退去の通達をしたりなどするのですが、みんなが物分かりの良い人たちばかりではありません。居留守を使われたり押し問答になったり、なかには自分の滞納を棚に上げて怒りだしたりする人もいて手を焼くことも多かったのです。これだけ時間と手間をかけても、私たち業者の収益は小さなものでした。

もう1つのサービスである退去時の精算もたいした利益にはつながりませんでした。当時の賃貸物件は2DKや3DKの手狭な間取りが主流で、畳敷きの和室がほとんどでした。

内装材も壁面や天井は今の主流であるクロス素材はあまり流通しておらず、塗り壁や塗装などの仕上げでした。そのため退去時に修繕するといっても1室単位の畳替えになることは少なく、たいてい畳1枚だけ表替えや裏返しをして完了なのです。簡単な修繕で間に合ってしまうため、実際の実入りも雀の涙でした。

管理事業部、負担に耐えかね責任者が1年で退職

管理事業部は編集企画課の隣の机6つでスタートしたのですが、仕事の大変さや採算が取れないプレッシャーなどがあったのでしょう、1年ほどで責任者が辞めてしまいました。

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