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新日本プロレスVS全日本プロレス「仁義なき」50年闘争史【19】馬場VS木村“頂上決戦”の思わぬ行方

アサ芸Biz

 日本プロレス界は73年4月に老舗の日本プロレスが崩壊して国際プロレス新日本プロレス全日本プロレスの3団体時代になり、新日本vs全日本&国際という形で展開されていた。

 新日本と国際は、アントニオ猪木が東京プロレスの社長だった67年1月に、合同興行の契約を巡って国際の吉原功社長と揉めたという経緯があるだけに、交流は一切なし。

 一方、全日本と国際の関係は良好で、ジャイアント馬場が72年10月に全日本を旗揚げする時には国際からサンダー杉山が円満移籍。74年3月に国際のエースのストロング小林が新日本に引き抜かれた時(表向きはフリー宣言)には馬場が国際の興行に助っ人として参加し、全日本が75年暮れに開催した「オープン選手権大会」、77年暮れに開催した「世界オープン・タッグ選手権」大会に国際は選手を派遣している。

 この78年2月にも全日本と国際、韓国の金一(大木金太郎)道場の「三軍対抗戦」が開催された。

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 全日本と国際の蜜月はずっと続くと思われたが、状況が変化したのは夏だ。

 まず動きがあったのは新日本。7月に猪木とヒロ・マツダが会談し、日本選手権開催を前提とした「プレ日本選手権」を11〜12月に開催することに合意した。

 マツダはNWAの主要マーケットのフロリダCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)の重役であり、フリー日本人レスラーの大御所。

 この年の春に国際からフリー宣言してフロリダに単身やってきた剛竜馬の後見人として、7月27日の日本武道館における藤波辰巳(現・辰爾)vs剛のWWWFジュニア戦に立ち会うために来日したが、旧知の猪木との会談で「世界にいるフリー日本人レスラーを集める」と約束したのだ。

 またまた猪木が日本選手権開催に向けてアクションを起こしたわけだが、その1カ月後の8月28日には国際の吉原社長が「私がプロレスラーになってから今年で25年。日本選手、日系の選手、日本で育った選手たちの争覇戦を11月3日〜同月30日の日程で開催する」と「インターナショナル・リーグ、オールジャパン争覇戦」(仮称)を発表した。

 仮称で発表して「日本選手権」という名称を避けたのは、新日本が「プレ日本選手権」という名称を先に発表したからだろう。後日、正式名称を「日本リーグ争覇戦」と発表した。

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