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芸能プロデューサー×原武史“近代の皇室を題材にするということ”|ダメ業界人の戯れ言#3

ホンシェルジュ

ドラマや映画などの制作に長年携わってきた読書家プロデューサー・藤原 努による、本を語る連載。仕事の傍らこれまでに読んだ本と、仕事やプライベートでの出来事を重ねて思うところを酸いも甘いも綴ります。#3は、プロデューサーとして『情熱大陸』にキャスティングした政治学者の原武史氏の著作を巡って、近現代の皇室の歩みについての考察です。
特集「仕掛け人」コラム

近代の皇室を映像の題材にするということ

2005年2月26日。

この日は旧国鉄時代から半世紀近い歴史を持つ寝台特急「あさかぜ」のラストランの日でした。この列車は、松本清張の代表作の一つ『点と線』の<東京駅での4分間のトリック>でとりわけ知られ、東京―博多を結んでいました。

著者[“松本 清張”, “松本清張記念館”, “完, 風間”] 出版日

この日、JR横浜駅の構内で、僕とディレクターは政治学者の原武史さんと待ち合わせ、『情熱大陸』で氏を取り上げる回の撮影を、横浜駅のホームから最後の「あさかぜ」を見送る原氏、というところから始めました。

横浜駅のホームは、「あさかぜ」の最後の雄姿を撮影せんとする人々でごった返し、しかしその様子を見つめる憮然とした表情の原さん。氏は、そんなに「あさかぜ」に思いを寄せるなら、なぜみんな、JRなどに残すように抗議するとかしないのかと当時のエッセイに書いていましたが、まあそんな人です。

僕がこの原武史さんを『情熱大陸』で取り上げてみたいと考えたきっかけは、2000年に氏が書いた『大正天皇』という本を読んだことでした。朝日新聞の天声人語にも取り上げられて当時少し話題にもなり、そこで大正天皇が帝国議会で起こした「遠眼鏡事件」(天皇が議場で詔勅を読んだ後に、その紙をくるくる丸めて遠眼鏡にして議場内を見渡した事件。その奇行が当時世間でも噂になった。)というものがあったのを知って、興味を惹かれたのです。

著者原 武史 出版日

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原氏は、昭和末期の1988年、日経新聞の宮内庁詰めの記者として働いていて、折しも天皇のXデーが近いと言われていたこともあり、毎晩皇居内の宮内記者会に深夜まで詰めていました。毎晩その日の勤めを終えると坂下門まで車で他の記者たちとともに皇居の中を走ったらしいのですが、門を越して日比谷通りに出た瞬間に急に江戸時代から現代にワープしたような得も言われぬ衝撃を受けたらしいです。皇居内には当然街灯などもないし、天気のいい日は星空もよく見え、これがほんとうに東京の都心なのかと感じたとのことでした。

この話を聞いて、僕はちゃんと読んだこともないフランスの哲学者、ロラン・バルトがかつて、東京は世界で唯一“空虚な中心”を持つ都市だ、と言ったことを思い出し、何だか急に腑に落ちた気がしました。

とにかくそのようにして、原氏はその後天皇制を中心とした政治思想史の学者としての道を歩み始めるわけですが、新聞連載が本になった『鉄道ひとつばなし』を読むことで俄然、僕は氏の考え方に興味を持ちました。

著者原 武史 出版日

1936年2月26日に、東京で二・二六事件が起きた時、昭和天皇の一歳年下の弟・秩父宮は、陸軍大隊長として青森県弘前市にいました。秩父宮は、東京で起きた事件を聞いてすぐに東京に向かうのですが、その当時の最短ルートであったはずの青森から常磐線経由で上野へという道をなぜか取らず、奥羽、羽越、信越線など新潟県側を通って迂回する形で向かいます。原氏は、秩父宮が東京に着くまでに何らか時間稼ぎをする必要があったのではないかと考えました。

実際、秩父宮は途中の群馬県水上駅で、恩師のような立場であった平泉澄という学者と合流した形跡があります。

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