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歴史浪漫「今さら聞けない大奥」【1】1000人以上の女性たちが“勤め”を果たし

アサ芸Biz

 家光は、当初男色にふけって女性に手を出すことがなく、世継ぎを心配した春日局は、選りすぐりの女性を集めて家光にあてがった。結果的に8人の側室との間に6人の子供を作ることに成功。家光は春日局を実母のように慕い、表の政治の老中をもしのぐ権力を得たことで、大奥の本格的な始まりとなったのだ。

大奥法度」は、奥へ男子を入れてはならない(男子禁制)、女中たちは基本的に城門を出入りできない、夕方の六つ(午後6時)以降の門の出入りを禁ずるといったことが明文化されたもの。4代家綱の代には、大奥の中のことを他言してはならないなどの項目が追加された。

 江戸城と大奥の仕組みはどうなっていたのか。河合氏によれば、

「江戸城の中には、本丸、二の丸、西の丸があり、それぞれに大奥があった。基本的には将軍の奥さんである正室や側室がいるのが本丸御殿で、二の丸や西の丸には、将軍を引退した大御所や前将軍の妻や母などが入っていました。

 本丸御殿は『表(おもて)』と呼ばれる公式行事が行われる場所と、『奥(おく)』とか『中奥(なかおく)』と呼ばれる将軍の日常の生活空間がありました。そして本丸御殿の大奥は、その6割もの面積を占めるほどの広大なものでした」

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 では、大奥にはどのくらいの女性が住んでいたのだろうか。

「一説には3000人なんていう説もあります。女性たちの職制や身分は主に将軍に直接会うことができる御目見得(おめみえ)以上の中で、将軍付き、御台所付き、側室付きなどに分かれていた。将軍には会うことができない御目見得以下の身分の低い下級の女中たちは、下級武士や裕福な町人や農民出身の娘たちが、行儀見習い、花嫁修業の一環のようにして大奥勤めに出ることがありました。上級の女中たちが個人的に雇い入れた『部屋方(へやかた)』と呼ばれた雑用係の使用人の女たちまでを含めると1000人〜3000人近くいたとも言われています」(河合氏)

 いずれにしろ、相当な数の女性たちが一堂に暮らしていたことで、心配になるのが、トイレなどの処理だ。御台所の便所は御用所と呼ばれ、高貴な女性の排泄物を人目にさらさず、汲み取る必要がないように、約18メートルの深さまで掘り、代替わりごとに埋め、新たに便所の穴を掘ったと伝えられる。臭いを消すために常にお香がたかれ、しかも、御台所のお世話をする少女(御小姓〈おこしょう〉)が下を拭いたというから驚きだ。

河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊:「江戸500藩全解剖」(朝日新書)。

堀口茉純(ほりぐち・ますみ)歴史タレント。明治大学文学部卒業。NHKラジオ「DJ日本史」、YouTube「ほーりーとお江戸、いいね!」などに出演中。著書「江戸はスゴイ」(PHP)他。

安藤優一郎(あんどう・ゆういちろう)歴史家。文学博士(早稲田大学)。江戸をテーマに執筆・講演活動を展開。近著に「大江戸の娯楽裏事情」「江戸の旅行の裏事情」(共に朝日新書)など。

*画像は春日局

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