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歴史浪漫「今さら聞けない大奥」【1】1000人以上の女性たちが“勤め”を果たし

アサ芸Biz

 将軍以外の成人男性は原則、足を踏み入れることが禁じられ、正室、側室ら1000人を超える奥女中がはべった男子禁制の秘所。知っているようで知らない夢の桃源郷の真実にいざ!

大奥」のイメージといえば、江戸城内にあった将軍のハーレム。美女たちと将軍の酒池肉林の世界が広がっていた‥‥と妄想する人も少なくないだろう。

「江戸城・大奥の秘密」(文春新書)などの著書がある歴史家の安藤優一郎氏は「そんなお気楽なものではなかった」として、こう言う。

「跡継ぎができないと、世継ぎを巡っての騒動となって国が滅んでしまいますから、当事者たちにとっては深刻な問題で、大奥は第一義的に将軍の跡継ぎを作るためのシステムだったのです」

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 そのために正室である御台所や側室、そして彼らの身の回りの世話をするために仕えるさまざまな役職の女たちが奥女中として暮らしていた。

「歴史探偵」(NHK)でもおなじみの歴史家の河合敦氏によれば、

「室町将軍や各大名家にも『奥向(奥)』と呼ばれるものがあって、正室、側室などを抱えていたわけですが、完全に男子禁制とし、さまざまな役職を持った女性たちだけのシステムができたのは、江戸時代からです。江戸幕府を開いた徳川家康の頃にはまだ大奥はありませんでした。徳川家の歴史を記録した『徳川実紀(とくがわじっき)』によれば、江戸城本丸に大奥の建物ができたのは、1607(慶長12)年、2代将軍・徳川秀忠とその正室・お江(ごう・お江与〈えよ〉)の時代で、家康の死の2年後、名実共に幕府の実権を握った2代秀忠が、1618(元和4)年に大奥に関する『大奥法度』を定めたと言われています。

 お江は、ご存じの通り、織田信長の妹のお市の方の3姉妹、淀殿(茶々)、お初に続く末娘ですが、後に3代将軍となる家光らを産み、徳川最初の御台所(みだいどころ)となった女性です。その後、大奥のシステムを確立したのは、家光の乳母のお福(後の春日局)だと言われています」

 江戸に詳しすぎるお江戸ル〝ほーりー〟こと歴史タレントの堀口茉純さんが引き取って言うには、

春日局は、世継ぎが生まれないことで、また戦国時代のような混乱した世の中にしないために、きちんとシステムを整えたということですね。春日局は、明智光秀の重臣だった斎藤利三の娘で、関ヶ原の戦いの後、小早川秀秋の家臣に嫁ぐなど、いろいろ苦労した女性で、あの戦国時代に逆戻りをしないということが彼女の使命感だったと思います。3代家光を将軍にする時には、信長の姪でもあるお江と対立する訳ですが、この後に繰り返される大奥内でのライバル対決の最初かもしれませんね」

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