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【小説】「年を重ねて行儀が良くなったのかな」悪童仲間が低く呟いたワケ

幻冬舎ゴールドライフオンライン

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二〇一九年暮、流行ミステリー作家斉田寛は都心の高層マンションの二十二階から転落死して発見された。遺書はなく警察は事故死として処理した。世界的なパンデミックの中、ジャーナリストの松野はその死を巡りオンラインとリアルを駆使して故人の周辺の人々にインタビューして回る。果たして斉田は自殺か、他殺か? 斉田が蒐集していた中国古美術を巡って暗躍する香港マフィアの影。家族や友人知人を通して次第に明らかになる流行作家の実像とは? そしてその残酷な結末とは? サスペンスに彩られた究極の愛の物語。※本記事は、そのこ+W氏の小説『私の名前を水に書いて』(幻冬舎ルネッサンス新社)より、一部抜粋・編集をしたものです。

オンライン追悼会

息子の晃が発言した。

「確かにお袋は人前ではあまり話さないかも知れないけれど家では面白くて楽しい人ですよ。小さい時はよく本も読んでくれたし、海岸で潮干狩りもしました。あの頃は白里でもまだ蛤なんかが結構採れたんです。僕が小学生の時には年に一度は有名なテーマパークに連れて行ってくれたしね。ただお袋はよく知らない人にはとてもはにかみ屋だったんです。今でもそれは直っていません」

「テーマパークにはお父さんも一緒でしたか?」と松野。

晃は首を振った。「親父はほとんど家にはいませんでしたからね。時々週末に顔を出すか、年に一回か二回取材旅行で外国に行って帰って来た時は一週間ぐらい白里に帰って来て、僕らに写真を見せたり旅の話はしましたけれど。子供の頃の親父の記憶はぼやけています」

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松野は如才なくもう一人の女性の出席者に発言を促した。斉田の秘書だった女性、岡林恵だ。見るところ二十代半ば、この会では故人の息子の次に若い。

「私は先生の秘書になってまだ一年半でした。新米もいいところだったんです。先生は千葉のご自宅は都心へ通うのに不便だと言われて目黒に仕事場として一軒家を借りていらっしゃいました。ええ、“寛山泊”です。そこが私の仕事先でした。先生は宵っ張りの朝寝坊で、朝は十時半前に起きることはありませんでした。私は日曜以外は朝の九時半に先生の仕事場に行きました。夜はひっきりなしに来客があるんです。きっとお客が帰った深夜に執筆されていたのではないでしょうか。それで朝寝坊にならざるを得なかったんだと思います」

「夜のパーティーの世話とかはあなたがしていたんですか?」

「いいえ」。彼女は首を振った。

「お手伝いさんが来ていました。私は一応午後六時ごろには帰っていましたけれど先生に特別な来客のある日はどうしても帰りは八時九時になりました。でも週末は勘弁していただいて五時には帰らせてもらっていました。お手伝いさんは午後三時ごろに来て食料の買い出しやお客様用の食事の準備を済ませて、夜の八時半ごろに帰っていましたから片付けは半分くらいしか出来てなくて、翌日はその人が来るまで台所は散らかったままでした。ですから私がせめて来客にお茶ぐらいは出せるように簡単にお皿洗いなどをしましたわ」

「原稿の清書はあなたがしていたのですか?」

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