top_line

気持ちいい!サクサク進む爽快パズルゲーム
「ガーデンテイルズ」はここからプレイ!

800回スペシャル~秋元康 激流を掴む秘密(1):読んで分かる「カンブリア宮殿」

テレ東プラス



大衆の心を掴むレジェンド~ヒットを生み続ける秘訣


超高級車、マイバッハから降り立った秋元康(64)。ある人物からラインでメッセージが届き、東京・表参道にふらっとやってきた。その相手は元AKB48のメンバー、こじはること小嶋陽菜さん。現在、アパレルブランド「heart relation」を手がけ、経営者としての道を歩んでいる。

「お店を初めてオープンするので『来ていただけますか』と送ったら、即レスで」(小嶋さん)秋元から返事が届いた。そもそも経営者への挑戦は秋元の言葉がきっかけだという。

「『自分に飽きたら終わりだよ』とAKB48の初期に言われたことがあって、自分に飽きないように新しいことを始めたり情報を入れたり、常に秋元さんが頭をよぎります」(小嶋さん)

一方、秋元は過密スケジュールの中、わざわざ訪ねた理由をこう語る。

「アイドルはずっと続けられるわけではない。その後の彼女たちの人生は楽しみでもあり、心配な部分でもあります」

マイバッハが滑り込んできたのはエフエム東京。待っていたのは古舘伊知郎さん。秋元がMCを務めるラジオのレギュラー番組「いいこと、聴いた」の収録だ。秋元は慣れた様子でゲストの魅力を引き出していく。


「ひと言でいうと、秋元康の存在は千手観音だと思います。いっぱい手がある。海外、アジアに出てグループ展開をプロデュースしたり、家にこもって作詞をしたり、番組を企画したり。僕は一つ一つの星を見て『きらめく星々だ』と言うけど、秋元康の中では星座になって点と点が線でつながっている。そこに強さを感じます」(古舘さん)

放送作家から作詞家、プロデューサーと、次々と肩書きを増やしてきた秋元の睡眠時間はわずか3時間だという。昼下がりに書いていたのはドラマの脚本だった。企画したテレビドラマをもっと面白くしたいと、話の途中から自分で脚本を書き始めたという。

「作詞でいえばパンチライン(印象的な言葉)がドラマにもあると思うんです。『ここがサビ』と『ここがパワーワード』とか、そういうことを考えながら書いています」(秋元)

秋元の脚本には視聴者を離さない秘密があった。テレビ東京で放送中のドラマ「赤いナースコール」は、病院内で次々と起きる謎の殺人事件で、犯人が誰なのかを考察させる秋元得意のミステリーだ。秋元の脚本は一般的な脚本家とは作り方がまったく違うという。

「なんとなく計算して予定調和に台本を作っていくんです。箱書き・プロット・シナリオという段階を踏んで作っていくのですが、秋元先生はシナリオからいきなり書いていく。だから予定調和にならないんです。だからみんな早く続きが読みたくなる。『どうなるの?』となるんです」(テレビ東京プロデューサー・北川俊樹)



高2でデビュー、作詞数は日本一~乃木坂46メガヒットの裏側

広告の後にも続きます


秋元について行くと、次々と大物が登場する。この日は音楽プロデューサー、つんく♂さんと、「つんく♂COMPLETE SONG BOOK」向けの対談企画。7年前、喉頭がんの治療で声帯を摘出したつんく♂さんと筆談での対話だ。


つんく♂さんが最初に秋元の存在に気が付いたのは「『夕焼けニャンニャン』で見切れている人」。常に自分の一歩先を秋元が走っていたという。そしてその存在を「なんでも相談できる永遠のアニキ」と評した。

秋元がエンタメ業界に生きてすでに48年が経つ。始まりは高校時代だった。ラジオ番組に脚本を送ったのがきっかけで、17歳にして放送作家に。20代になると、作詞家としての才能が開花する。1985年に始まったテレビ番組「夕焼けニャンニャン」では、夕方5時に若者をテレビに釘付けにした。そして30歳の若さで美空ひばりに「川の流れのように」を提供。作詞家としての地位を不動のものとする。

その後、とんねるずのバラエティ番組など数々の人気番組を手がける一方、2000年代にはプロデューサーとしてAKB48などアイドルグループを次々と立ち上げ、大ヒットへと導いた。それらの作詞をすべて手がける秋元は今や作詞数で日本一を誇る。

8月末、明治神宮野球場に若者が押し寄せた。AKB48のライバルとして秋元が仕掛けた乃木坂46のライブだ。ファンを掴んでいるのはその歌詞だった。長年、秋元と仕事をする「乃木坂46合同会社」代表の今野義雄さんは「秋元は誤解されている」と言う。

「世間には『仕掛けの人』だと思っていらっしゃる方もいると思いますが、もう一つの側面として作詞や芸術をすごく愛している。そういうところも兼ね備えたプロデューサー。とんでもない量の仕事をしているので、完全に驚きです」


乃木坂の聖地とされる神宮球場。秋元は彼女たちに純粋な詞の力を与えることで、ファンの心を掴み続けているのだ。メンバーの齋藤飛鳥さんは秋元の詩についてこう語る。

「初めてセンターに立たせていただいたのが『裸足でSummer』という曲で、当時の私は10代で、周りのお姉さんたちについていくことしかできず、でもセンターに立たなければいけないというちょっともどかしい気持ちを、一人の男の子の恋心に例えられている感じがして、『私の気持ちを知って書いているのかな』と。でも当時は秋元さんとそんなに話したこともなかったし、どうやって書いているんだろうと思っていました」



ジリ貧から国民的に~AKB48大成功の舞台裏


真夏の東京・お台場で巨大イベントが行われた。大小さまざま用意されたステージにアイドルたちが登場。そこには秋元が手がけた日向坂46の姿もあった。これは日本最大級のアイドルイベント「TOKYO IDOL FESTIVAL 2022」。パフォーマンスを繰り広げるのは実に230組。アイドルグループがまさに百花繚乱だ。


ファンからは秋元について「アイドルのムーブメントを作った。アイドル文化を作り上げたのが秋元康」「アイドル業界のトップの人」という声が聞かれた。

今から17年前、秋元が新たなアイドルを生み出すステージに選んだのは「ドン・キホーテ」秋葉原店の8階、今もほぼ毎日行われる公演で行列ができる「AKB48劇場」だ。

「会いに行けるアイドル」というコンセプトだけあって、驚くほど小さな劇場だ。だが、AKB48発足当初は閑古鳥が鳴いていたという。

「経営的に厳しくなってもおかしくなかった」(AKB48マネジメント部・牧野彰宏部長)

ちなみにこのAKB48劇場には大きな欠点がある。ステージを隠す太い柱。明らかに邪魔になっているが、初めてここを見た秋元は「『柱があったほうが面白いんじゃないか』と言ってました。席によってステージが見えないので『今日はこっちで見よう』とか『次はこっちで見よう』となるからと」(牧野さん)。秋元は忙しい仕事の合間を縫って毎日劇場に通い、細かく指示をしたという。


AKB48発足当初から衣装作りを担当してきた、「オサレカンパニー」の茅野しのぶさんも、「お客がいなさすぎてアンコールがかからない。私やスタッフが外に出て『アンコール』と言う。自作自演みたいな感じで、それくらい人がいなかったんです」と、振り返る。
しかし、秋元はひとり成功を疑わず、衣装の大切さを訴えたという。

「『今まで誰かが見たものだとダメだ』と言われました。衣装が戦略になるように、等身大の中高生が多かったので、彼女たちを投影するのに良いと、制服になりました」(茅野さん)


AKB48の楽曲を手がけてきた音楽ディレクターの田中博信さんは、秋元が狙ったのはクラスメートのようなアイドルだったと言う。

「いつも近くにいる女の子が等身大で見られるような一つの物語。秋元さん自体、それを本人たちに表現させるために、毎日闘っていました」

その田中さんも、「この子たちがどうやってどういう売れ方をしていくのかは、さっぱり分からなかったです」と言う。だが、秋元の今までにないアイドルの形が口コミで徐々に広がり、ファンが増えていったのだ。

人間味のあるデジタル~驚異のアイドル進化系


テレビ番組の収録現場に現れたのは黒いボディスーツに身を包んだ女の子たち。最先端のアイドルだ。


「最初は恥ずかしくてカメラに向かってしゃべるなんて考えられなかったけど、もう何も思わなくなりました」(「斎藤ニコル」役の河瀬詩さん)

バーチャルスタジオで始まったテレビ番組の収録。収録段階の画面を見せてもらうと、女の子たちはアニメになっていた。彼女たちはいま大人気の「22/7」というデジタル声優アイドル。秋元がプロデュースする最新技術を使ったアイドルグループだ。

「髪の毛やリボン、スカートなどの揺れはコンピューターの計算で動いています」(「ユークス」研谷佳生さん)

二次元のアイドルとして、魅力的に見せるコツがあるという。

「二次元になった時はこれぐらいやったほうが可愛い。ハートを作る時もより大きくしたほうが二次元には映えるんです」(「藤間桜」役の天城サリーさん)

もう一つの特徴が、彼女たち自身もデビューしていること。リアルとデジタル、両方楽しめるアイドルなのだ。

「その独創性を生かして、アイドル界、アニメ界で唯一無二の存在になれたらいいなと」(河瀬さん)

デジタルなのに中身はリアル。今までにない人間味のあるキャラクターが新しいファンを獲得している。

「他のアニメは、どんな作品でもキャラクターを演じる上で台本があると思うのですが、22/7は、演じている彼女たちそれぞれが自分で感じたことや考えたことをそのまま口に出しているので、それがそのままキャラクターの言葉になっているのです」(「バズウェーブ合同会社」足立和紀さん)


一方、秋元の元に新たなビジネスが持ち込まれていた。やってきたのは金融関係のベンチャー企業「オーバース」代表・佐藤義仁さんだ。
「韓国に代表される国際的なアイドルグループに、日本のアイドルグループは大きく遅れをとっているのではないか。新しいアイドルグループを作るプロジェクトを立ち上げました」(佐藤さん)
世界に通用する、今までにないアイドルを秋元にプロデュースしてほしいという依頼だった。しかも、アイドルとファンを繋げるのが暗号資産にNFTだという。
「暗号資産とかNFTといったこと自体が新鮮ですよね。それを自分でどう料理するかが面白い」(秋元)

<出演者略歴>
秋元康(あきもと・やすし)1958年、東京都生まれ。高校時代から放送作家として活躍。1981年~、作詞家として活躍。1991年、「グッバイ・ママ」で初映画監督。2005年、AKB発足、総合プロデューサーに。2007年、京都造形芸術大学副学長就任。2011年、乃木坂46、JKT48発足。

見逃した方は、テレ東BIZへ!

見逃し配信や関連動画は「テレ東BIZ」で配信中!

 
   

ランキング(エンタメ)

ジャンル