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町田康 初の自伝を語る「人間が根底から救われることはまずあり得ない」売り切れ続出『私の文学史』の裏側とは

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町田:ある種のゲームというか、わかっていながらそれを消費するということがありますね。そういうのはなるべくやらないようにしてきました。今回も自分のことは説明に使っていますけど、劇的な「この本読んで人生変わりました!」みたいなことはないですね(笑)。 


――町田さんがやりたいことと言われたら、「笑い」と書いていらっしゃいました。笑いを考えてる時に自意識から脱却できる面はあるでしょうか。 

町田:笑いに限らずですけど、文章を書いていて面白いなと思う時、調子に乗ってる時というのは、自分を超えた何かを掴んでいるような感じはします。別の何かに触れている感じがある。ただなかなかそうならない時もあるんで、苦しかったりするんですけど。 

 笑いをやってる時はそれが面白いことに理由などないですから。なんで面白いかっていう方程式がないんですよね。そして文脈もないんですね。文脈が掴めたら別に面白くないですからね。ああ、なるほどねって終わる話で。自分でも何が面白いかわからないけど面白いわけです。笑いに限らずかもしれないですけど。

歌詞や詩を見つめる美意識

――本書で触れられている町田さんがやっていたパンクバンドINUは、僕も聴かせてもらってましたけど、歌詞が本当に独特でした。 

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町田:INUの場合は、まず語彙が違っていました。音楽ファンの人達とは違う語彙だった。もう一つは発想と言いますかね。無知蒙昧でしたからね。そもそもロックってこういうもんだよねとか、パンクってこういうもんだよねとか。みんなまず文脈を考えてそのなかでやるから、言葉も自ずと文脈から外れるものにはならないんですよ。 

 簡単に言うと美意識って言っちゃってもいいんですよ。そういう美意識ってどうなんかな? もしかしてめちゃくちゃ格好悪いとちゃうんかなと直感が働く。いわゆるロックっぽいもの、だからお手本通りしなきゃでしょっていうような、一定の範疇にあることは格好悪いんじゃないかなっていう。僕ら関西でやってて、東京のバンドとか見るとみんな上手くてそれなりに形になってるんですけど、格好つけてて格好悪いよねっていう感じが強くありましたね。「無理してない?」みたいな。割とそういうものに対してはダサいなぁ、て感覚がありましてね。 

――最初「メシ喰うな!」って何?となりましたもんね、やっぱり。 

町田:いまからするとそんな突飛でもないかもしれないですけど、40年前の感覚からすると、ロック的な文脈からは大きく外れてたと思う。(収録曲)「つるつるの壺」とかね(笑)。その頃から見たこと感じたことはそのまま書いてるなって。 


――独特な言い回しが印象に残っていて記憶にこびりついてるんですよね。詩には4種類あると書いていらっしゃいましたけど、あれも全部自分の美学というか、自分で編み出した法則なわけですよね? 

町田:詩っていうのはですね、なんでこんなおもろないのかなって(笑)。考えたんですよ、なんでこんなおもろないのやろって思ってね。そうかと思ってわかったことを喋ったんですけどね。 

――詩って、普通に読んでも面白くない場合がありますね。 

町田:それお前の話やろって言ったら終わるじゃないですか。例えば、シベリアに行ってどえらい目に遭うたりとかね。例えば、萩原朔太郎や中原中也とかね、近代詩や戦後詩の人って、苛烈じゃないですか? どえらい目に遭うたりとか、どえらい変な人やったりとか。でも今、普通に大学の先生やってちゃんと世のなかに生きてる人は別に普通やでっていう。どんだけ言葉を尽くしても、言えば言うほどおもろないじゃないですか。普通のことを必死になって言うなオラーっていう。みんな自分に夢中なんで、それがなんでおもろないのかっていうのを説明しました。 

――そこでも、わたくしっていうのが出てくるんですね。 

町田:わたくしっていうのを僕は撲滅できませんから。大声で言うのもなぁ……って。それに共感して「私と同じ人がいる」となる人には面白いんですけどね。「普通の私がこんな酷い目にあった」と大声で言うと「あぁ、自分もそうや!」って、共感する人がいれば、それはそれで楽しめるでしょうけど。 

 詩は、そこに書かれた言葉に精神が癒されてると思うんです。でも、それがおもろいか、おもろないかは別の話なんです。だって、あぁ、熱が出てしんどいわとなった時に、薬飲んで治ったとしたら、それは別におもろいことじゃないでしょ。薬飲んでおもろいわーって言ったらジャンキーでしょ、普通に(笑)。おもろい、おもろない観点で言ったら、おもろない。ただそれに救われる人がおるかもしれないねって、そういう話ですね。 

――町田さんは本書の中で小説では笑いがしたいんやってことを書かれてたんですけど、それは一体どういう境地で辿り着いたのでしょうか。 

町田:境地というのは、その時々で変わるのかもしれません。小説で何をしたいねんと考えた時に、いま言うたような意味で、おもろいことが言いたいんですね。自分がやっててなんか気色ええことをやりたいんですよ。気色悪いことやりたないんですね。 

 例えば、最近は古典の翻訳や古典の題材にした創作をよくやってますけど、翻訳してる時にわからないところがあるんですね。これってどういうことなんかな? いまの言葉にするとしたらどうしたらええのかな? と思うわけです。これがパッとわかったら、おもしろいんですね。翻訳する人はみんなそうかもしれないですけど。 

 逆に言うと、やりたくないことがあるんですね。おもろないことやりたくないんですよね。おもろないことって何かって言ったら、さっき言ったみたいに薬をつくって人の苦しみを癒す、それで金を貰う。それですごいと言われるとか、あんまそういうことはやりたくないんですよね。僕は基本的に「薬なんてそんなないねん」と思ってるんです。人間が根底から救われることはまずあり得ないから、多分偽薬ですよね。偽薬をつくって人を救った気になりたくないなと思いますけどね。 

 そしてやっぱりおもろいことをやると、ある程度伝わるんですね。伝わった時にあぁ、通じたなっていう、そういう喜びはありますかね。

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